21/07/18 12:03:00.62 gOahiB9x.net
マルクス・アウレリウス帝は、青年期の軍事経験が少なく(皇帝が東京でリモートワークしてるので)、さらに資質としても軍事センスは無かったのかもしれません。
戦役での兵力の逐次投入や無理な戦域間転用が目立ちます。
が、責任感は強く、マルコマンニ戦争では皇帝陣頭でどうにか押し返した。
配下の将兵も、三世紀のような反乱多発は起こさずこの責任感の強い皇帝従った。
高貴な東京都民は、晩年は首都東京を不在しがちで「都民ファースト」が今一の皇帝に不満。
このころ流行した疫病を「アントニヌスの疫病」などと。
(一日2000名死亡。累計500万以上)
現代的な疫学では、北から大規模な人口移動が起きれば支那肺炎の一つも流行りますね。