21/07/18 11:37:32.40 gOahiB9x.net
次のマルクス・アウレリウス帝の治世ですが。
まず、即位直後にテヴェレ川の大氾濫。
天災ではありますが・・・どっかの馬鹿が八ッ場ダムや長野の治水工事をカットしたのと相関がありますかね?
(SDGs! SDGs!SDGs!)
さらに翌年、パルティア王国がアルメニアに侵攻。
起きたのは162年ですが、何か予兆は無かったのか?
こいつは、ドナウ川戦線の部隊を転用してどうにかおしかえした。
すると、今度はドナウ北岸の蛮族が大規模侵攻。
一時、イタリア本国まで攻めこまれた。
そっから十年間。ダキア他で一進一退。どうにか元の戦線まで押し返した。
いつの間にかパワーバランスが変わっていたのですね。
後にローマ帝国を滅ぼす蛮族名(ロンバルディア族)がボチボチ出てきます。
さて・・ことの本質は・・・いったい、どこのどいつの無為無策でしょう?
マルクス・アウレリウス帝は、戦略の転換を考えた。
こりゃ守りだけではもうドナウ戦線は維持できんと。
逆侵攻して、ドナウ北岸とライン東側を両睨みできる要衝を押さえるべし!
その地名を「ボヘミア」という。
良いとこ突いてきますね。
その後、二十世紀に至るまで延々と争奪対象っとなるボヘミアです。
「ボヘミアを制するものは欧州を制す!」
残念ながら、ガイウス・アウィディウス・カッシウスの反乱で未発に終わりました。
そして、マルクス・アウレリウスもローマどころか戦陣で陣没しました。
いや、東京でリモートワークしたいことろでしたが、それどころでは無かった。