21/04/11 21:31:48.23 fRJdz8iV0.net
ちなみにロシア人水兵が殺された事でどれだけ日露の樺太交渉が揉めたかというと、
・水兵が殺された事件を理由にロシアが樺太全部寄越せと言い出す
・それを聞いたイギリスがロシアが樺太手に入れるならうちには対馬を寄越せと言い出す
・更にフランスがうちの宣教師殺した朝鮮に報復攻撃したいからイギリスに対馬をやるぐらいならうちに租借させろと言い出す
・アメリカとはヒュースケン君が殺された件に関して揉めてるしなにより南北戦争が始まってしまったので手助けは期待できない
・そうこうしてる内にしびれを切らしたロシアが対馬に向かって対馬の占領を始める
・この直後にイギリス大使が水戸脱藩浪士に襲撃され、それを不問にする事を条件に英国は対馬へイギリスの軍艦2隻の派遣を幕府に承認させる
・最終的に幕府が「お前らこのままだとまたクリミア戦争みたいな事になるぞ」と説得して終了。まだゴネるイギリスには日本沿岸での測量を認める事で手を打った後伊能忠敬の地図の写しを渡す事でイギリスの測量計画は無事中止
これぐらい揉めました。
複数の勢力でグチャグチャになるまで拗れに拗れさせたところで何とか収拾させるというかなり薄氷を踏むような決着の付け方だったようで。