20/04/27 16:46:52 apLp/J/9.net
WW2時ドイツ駐在の日本人ネタでおれが泣けたのは、
「イ8潜を送る軍艦行進曲」だなあ。
WW2時、日独を結ぶ連絡路は全て途絶し、
唯一残されていたのは、長大な航続距離を誇る日本海軍潜水艦による連絡便だった。
だが、連合軍の激烈な攻撃をかわし、日独往復に成功できる確率は極めて低く、
第1便のイ30潜はドイツ占領下のフランス・ロリアン軍港まで到達には成功したが、
帰路、シンガポール軍港にて英軍が敷設した機雷に触雷、沈没。
第2便のイ8潜も、フランス・ブレスト軍港に到達に成功はしたが、
日本に帰れるかどうかは予断を許さない状況だった。
昭和18年10月5日、イ8潜は日本に向けブレスト軍港を出航。
訓練のための出航と偽装するため、歓送行事は全て廃止された静かな出航ではあったが、
海軍工廠のタグボートに曳かれてUボート用のブンカーを引き出され、ブレスト湾口に向かうイ8潜、
タグボートの船橋にはイ8潜を見送る日本側ドイツ、フランス駐在員数名がおり、
彼らから起ったのが、声を限りに歌う軍艦行進曲の歌声だった。
帽子や手を振りイ8潜を歌声で送る駐在員たち、
潜水艦による往復便以外に日独の連絡路が絶たれ、ドイツの敗色も濃くなった昭和18年、
彼らに帰国できるあてはない、
その潜水艦往復便も日本に生還できるとは限らない、
せめてイ8潜の生還を祈る思いゆえの歌声だったのか。
イ8潜は12月21日、呉軍港に入港。
ただ1便、日独往復に成功した日本海軍遣独潜水艦であり、
のちの遣独潜水艦、イ34潜、イ29潜、イ52潜はことごとく撃沈され、
日本海軍はドイツへの潜水艦派遣を断念するに至る・・・。