20/05/29 14:16:44.99 j5ZKzu/S0.net
普通なら、米軍の装甲板に対しては低く出る筈なんすよ。
それで下がらなかったのも凄いのに、その上で上がってすらいる。
一式徹甲弾を一括りにしない方が良いというのが一番理に叶った見方では。
840:名無し三等兵
20/05/29 14:58:39.81 DA/+NUM4a.net
なんか海軍でもあったな。
戦後米軍が日本艦用の装甲板試験してみたら、おおむね日本の方が
低品質なんだけど、特定の厚さだけ日本軍の方が高性能だったとか。
150ミリだか180ミリだったか、その辺だった気がする。
841:名無し三等兵 (ワッチョイ a102-moxv)
20/05/29 15:23:27 QJJccYZJ0.net
そもそも装甲板も砲弾も性能はばらつくからね
だから80%貫徹とか50%貫徹なんて数値があるわけで
鹵獲品だと数の問題もあるから更に判断が難しいし
842:名無し三等兵 (ワッチョイ d3f0-kS6d)
20/05/29 17:34:37 h+g2Yut90.net
>>839
まあ、いろんな見方はあると思うけど
俺は昭和17年から20年の間に弾丸鋼の製法が変わった(=その結果貫徹力が上がった)っていう資料が出てこない限り慎重に見たい派
理由は19年以降、各種口径のAPで少数ながらいわゆる特甲が生産されていることね
このことから少なくとも有意な向上はなかったのではないかと思うんだ
当時の状況からして、生産全弾頭の有意な威力向上があったのなら
残り少ない希少金属を消耗品である徹甲弾に回してまで特甲を作るというのは考えにくい
特甲だって常識的なAPでしかないんだから
その点では、少数弾でしか計測してないから日本側のデータで正確な値が出てないって方がまだ有り得るかなと
843:名無し三等兵 (ワッチョイ d3f0-kS6d)
20/05/29 17:39:52 h+g2Yut90.net
まあこの辺りは結局、みんな同じようなことを考えてて別々の表現で書いてるだけだと思うから
細かいこと言い合ってもしゃーないとは思う
ぶっちゃけ、昭和17年初めの時点で「存速にして10%の差」が実際はどこまで埋まってたかって話でしかないんだよね
俺は多分そのまんまだった派。
>>839さんはどのくらいまで埋まってた派?
844:名無し三等兵
20/05/29 18:05:59.60 kp+oB+pX0.net
>>842
俺は変わった(発展された)んじゃなくて、むしろ初期の徹甲弾に問題があっただけなのだと推測してます。推測の域を出ないけど。
本来あるべき性能が米軍の試験だと思う。
であるから、海兵隊シャーマンは現場での応急措置を取らないといけなかったし、沖縄戦では存在を受けて陸軍がそれに追随したという例があるのでね。
勿論野砲や榴弾砲等も警戒はされていただろうが、最も厄介なのがこの一式47mm砲一式徹甲弾だ。
そして、存速にして10%劣るというデータがあるとするならば、まさにそうであってもおかしくないと思う。既に九二式や九四式徹甲弾で色々誤っており、一式徹甲弾であっても誰も完成されたとは言えない状況、試行錯誤も当然考えられる。
一応、試製五式七糎半戦車砲に、一式徹甲弾改修というものがある。
845:名無し三等兵
20/05/29 18:23:25.94 kp+oB+pX0.net
「どれだけ埋まっていたか」と言われると分からない。
ただ、米軍の試験を信ずるならば、米軍の調査したT-34の76.2mm戦車砲と、47mm戦車砲弾の貫徹力はほぼ同等の結果だった。
上がったにせよ変わらないにせよ、米軍に鹵獲された時点では47mm砲はソ連軍の通常徹甲弾程度の品質を有していた事は間違いない
つまり10%というが、44年付近では有意義な差はないと思っている。そもそもソ連の徹甲弾自体イギリスに比べて劣っていたというのが知られているので、別におかしい話ではないと思う。
これがもしイギリスと同等とかと言い出したら眉唾だろうけど、ソ連と差がないというのは普通にあり得る話。
で、どのみちそのソ連もAPBCやAPCRの開発をちゃんとしてきたわけで、日本が取り残されている環境には変わらない。
つまり何が言いたいかというと、この程度の上方修正は諸外国の進歩から見ても十分あり得る範囲内という事。
もし仮に諸外国が停滞する中で日本だけポンポン良くなっていった、というなら変な話だろう。
しかし諸外国が参加する中で日本はAP-HEの小改良に終始した、程度の賛成なら突破にも思わない。
846:名無し三等兵 (ワッチョイ d3f0-kS6d)
20/05/29 19:57:01 h+g2Yut90.net
存速で10%劣るというのはアジ歴にある「第1回陸軍技術研究会・兵器分科講演記録」(A03032065000)の21頁から44頁の項目にあるね
具体的には23頁に書いてあるよ
多分未読だと思うけど、この項目は是非自分で読んで欲しい
847:名無し三等兵
20/05/29 20:09:16.33 h+g2Yut90.net
あと、こっちも未読なら是非
「試製一式機動四十七粍砲研究報告」(A03032093000)
「試製1式37粍砲、試製1式37粍戦車砲、試製37粍戦車砲、97式5糎7戦車砲機能抗堪弾道性試験要報」
(A03032107200)
もしかしたら少し見方が変わるかもしれないし、逆に自分の説に自信が持てるかもしれない
まあ読んで損はないと思うよ
昔はアレだったけど、今はpdfで一括ダウンロードできるしね
848:名無し三等兵
20/08/27 18:05:09.34 p4GIKXbwa.net
佐多岬って要塞だったんですね。
URLリンク(youtu.be)
849:名無し三等兵
20/09/01 04:35:52.98 sikfphCFd.net
チハ写真集買おうとしたらゾンアマ売り切れでガックシ
850:名無し三等兵
20/09/01 13:53:40.12 Kxi0MgWv0.net
これか。
URLリンク(dotup.org)
851:名無し三等兵
20/09/01 23:12:40.82 3PnCTyGwd.net
>>850
中身はどう?
852:名無し三等兵 (ワッチョイ c7ad-CaxG)
20/09/02 08:42:10 0cDgIQIh0.net
てか何で三冊あるのよこのやろ
853:名無し三等兵 (ワッチョイ e77c-yOpk)
20/09/02 10:41:03 QjKkQrDy0.net
URLリンク(twitter.com)
(deleted an unsolicited ad)
854:名無し三等兵
20/09/02 11:20:34.68 HQdlsHHIM.net
>>852
日常鑑賞用、予備、永久保存用
あるいは
日常鑑賞用、自炊のためページ切り離し用、永久保存用
855:名無し三等兵
20/09/02 12:29:57.98
URLリンク(twitter.com)
URLリンク(twitter.com)
URLリンク(twitter.com)
自衛隊戦車発展歴史です!!!!!!!
856:名無し三等兵
20/09/02 19:01:52.92 uePnvMMtd.net
>>853
なんだ編集部の見本誌かそれなら3冊程度じゃないな
857:名無し三等兵
20/09/03 23:55:03.79 44a9Hhsbd.net
チハ写真集届いた
思ったより充実した内容で砲戦車や後半に未見写真が多かった
858:名無し三等兵
20/09/04 13:28:51.77 PRGLViTqr.net
松岡ちは
859:名無し三等兵
20/09/05 20:03:21.75 gCIbfEUZd.net
こがしゅうと絶賛のチハ写真集
URLリンク(twitter.com)
(deleted an unsolicited ad)
860:名無し三等兵
20/09/06 09:30:13.05 msGR95Y7d.net
遂にチハタンばんじゃ~い!(ノ゚∀゚)ノの日が来ようとは
861:名無し三等兵
20/09/11 03:32:20.96 0FIWNocXd.net
今回のチハ写真集に戦車第17連隊第5中隊の電光マークがあったがこれまで図版で見た二重電光ではなく単体だった
逆に二重の電光マークの写真はどこかで見れるのか?
862:Taki
20/09/14 21:19:42.11 K9S1Z+Zz0.net
二重の電光マーク
URLリンク(www3.plala.or.jp)
863:名無し三等兵
20/09/15 02:08:24.08 QPxfCuH9d.net
>>862
わかりづらいな二重になってる?
864:Taki
20/09/15 10:04:52.78 BnjPiI+i0.net
端しか写ってませんが、二股になっているのが分かると思います。
865:名無し三等兵
20/09/18 05:53:30.43 1VAecM36d.net
二式砲戦車ってどの戦車連隊に配備されたのだろうか?
2つの中隊が作れそうなくらいには量産されてるが
866:名無し三等兵
20/09/25 14:11:02.16
ピストルポートがあって、ピストル、ライフル、機関銃を発射する事が出来たらしい。
便利ですね!(^^)
九一式広軌牽引車(きゅういちしきこうきけんいんしゃ)とは、大日本帝国陸軍が1931年(昭和6年)に採用した鉄道部隊用の装輪装甲車である。
タイヤによる路上走行だけでなく、鉄輪に交換する事で線路上を走行可能であるという特徴を持っていた
武装であるが、これは戦車を保有する歩兵科とのセクショナリズムの関係上付けることができず、戦闘時は着脱式の機関銃及び乗員の携行武器を用いた。
装甲厚は6mmで、小銃弾にギリギリ耐えうるものであった。
後に開発された装軌式の鉄道装甲車である九五式装甲軌道車でも、こうした点は変わらなかった。
867:名無し三等兵
20/09/25 22:18:30.69
URLリンク(www.amazon.co.jp)
URLリンク(trafficnews.jp)
URLリンク(mori-chan.art.coocan.jp)
URLリンク(mp44.blog.shinobi.jp)
URLリンク(www.koshokaitori.com)
1926年(大正15年)には装甲列車を使用して運用方法研究の演習を行い、その有効性を改めて確認した。
1928年(昭和6年)の済南事件では演習の成果から南満州鉄道(以後、満鉄と略す)の協力を得て早急に装甲列車を配備する事が出来た。
1931年(昭和6年)からの満州事変では満鉄が自社の車両を改造して6編成の装甲列車を仕立てた。
それらの装甲列車や通常の列車は事変拡大と共に満州各地へ部隊を送った。
これら列車の運用は多くを陸軍鉄道部隊では無く、満鉄が行い、戦闘で壊れた路線の修復をも満鉄が行った。
(昭和6年末には臨時の関東軍鉄道中隊が編成された)
また、この年には装甲列車同士の戦闘が行われた。
満鉄白旗堡付近の北寧線を進む中国軍装甲列車と路線警備の日本装甲列車と遭遇し、戦闘となった。
この戦闘で中国軍装甲列車を大破させ、捕獲した。
翌年の昭和7年には鉄道第一連隊が満州に派遣され、ハルビンへの鉄道進撃を行った。
868:名無し三等兵
20/09/25 22:20:33.42
URLリンク(ja.wikipedia.org)
九四式装甲列車(きゅうよんしきそうこうれっしゃ)は大日本帝国陸軍の装甲列車。
1933年に完成した臨時装甲列車の教訓を基に(特に重量過多に起因する走行性能の不備)開発されたのが九四式装甲列車である。
869:名無し三等兵
20/09/25 22:21:31.11
URLリンク(trafficnews.jp)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ピストルポートがあって、ピストル、ライフル、機関銃を発射する事が出来たらしい。
便利ですね!(^^)
九一式広軌牽引車(きゅういちしきこうきけんいんしゃ)とは、大日本帝国陸軍が1931年(昭和6年)に採用した鉄道部隊用の装輪装甲車である。
タイヤによる路上走行だけでなく、鉄輪に交換する事で線路上を走行可能であるという特徴を持っていた
武装であるが、これは戦車を保有する歩兵科とのセクショナリズムの関係上付けることができず、戦闘時は着脱式の機関銃及び乗員の携行武器を用いた。
装甲厚は6mmで、小銃弾にギリギリ耐えうるものであった。
後に開発された装軌式の鉄道装甲車である九五式装甲軌道車でも、こうした点は変わらなかった。
870:名無し三等兵
20/09/25 22:28:40.44
装甲列車同士の戦闘ならこの作品しかないですね!!!!!!(^^)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
871:名無し三等兵
20/09/26 06:25:50.19
URLリンク(upload.wikimedia.org)
台湾の装甲兵学校校史館に九四式が展示されている
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
過去から現在の日本軍から自衛隊への装甲車両の変遷が気になりますねえ・・・
実際に実物を見ないとわからないのですかねえ・・・
ピストルポートの実際の運用等、やはり弱点だったのでしょうか・・・
それでも装着したということは、それほど利点があったのですかねえ・・・
リモコン式だけだと、対ゲリラ戦の際に、咄嗟の時に対応出来ないですから・・・
だけれども、将来的には、オートマチック機銃になると思います!
872:名無し三等兵
20/09/26 17:04:27.58 HrzfP1Y20.net
>>865
むかし第一総軍氏のレスでホイらしき戦車が独立戦車第7旅団に配備されていたとする証言があると読んだことがある
過去スレを探してみたが見つからず詳しいことはわからないが
873:名無し三等兵
20/09/27 01:29:22.96
戦車は随伴歩兵が居ないとねえ・・・
そうなると、当然、軽装甲車も必要となって来ますね!(^^)
874:名無し三等兵
20/09/27 12:44:26.34 FzuLDQVH0.net
戦車第三十八連隊か第三十九連隊ということか…
875:暫編第一軍
20/10/24 16:51:58.87 lyPP6SG+0.net
田藤博氏の調査資料「戦車部隊、自走砲部隊史」に、
独立戦車第七旅団の戦車砲中隊(砲戦車中隊の誤記か?)について
「41式山砲装備」との記述があります。
この部分はホイを装備していた可能性を示唆していると見えます。
同資料の別の部分には、独立戦車第七旅団、戦車第三十八連隊の砲戦車中隊は三式中戦車10輌、九五式軽戦車2輌とあります。
とすればホイを装備していた可能性があるのは戦車第三十九連隊ということになりそううです。
しかし同資料は田藤氏が多くの資料や証言を纏めたもののようで、各資料の整合性をどの程度確認しているかはわかりません。調査途上の資料のようにも思えます。
876:名無し三等兵
20/11/02 10:49:41.28 Y0I+sQyJd.net
URLリンク(twitter.com)
11月3日03:30 ガダルカナル島の戦い
第三十八師団の歩兵第二百三十連隊第二中隊、山砲兵第三十八連隊第六中隊は、海岸線沿いに海兵第2大隊の陣地を攻撃してこれを撃破。
戦死者4名、負傷者1名
米軍側:戦死者約70名
____________________
この様に山砲の射撃は非常に強力であります
イル川で一木支隊を粉砕したのも実は海兵隊の75mmパックハウザーです
また、大陸戦線では宣昌作戦の際に鉄条網を破壊して突破してきた中国軍を一門の山砲が40発の零距離射撃を放って粉砕したという驚異的な実績を持つのも山砲です。
二式砲戦車は惜しまれます。
従って山砲を九七式中戦車の主砲とすべきだったでしょう(Q.E.D)
(deleted an unsolicited ad)
877:名無し三等兵
20/11/02 14:26:31.29 m9f0f8cU0.net
2000万、あと2000万山砲があれば日本は必ず、必ず勝てます!
878:名無し三等兵
20/11/04 18:29:32.53 lx2UHItv0.net
12隻の大和級で米本土を直撃すれば止める方法はありません!
みたいな話だな。
879:名無し三等兵
20/11/05 19:24:51.77 2rSSLi0kd.net
チハチニがイ号とほぼ同じ57ミリ短加農だったのは使い勝手だけじゃなく、
いかに数をそろえる事を重視していたのと
一人用砲塔化の余地を残せるので軽量化の面でも都合が良かったから
880:名無し三等兵
20/11/10 03:52:02.97 kMefrPTS0.net
砲があっても弾がないというオチが待っているんですねわかります
881:名無し三等兵
20/11/10 12:11:24.45 uDR5z+Nta.net
このタマなし野郎!
882:名無し三等兵
20/11/10 12:31:26.86 ERi72JqlM.net
弾が無ければ光学兵器を使えば良いじゃない
883:名無し三等兵
20/11/10 19:04:19.93 N8J860tUd.net
山砲の榴散弾の威力
戦車砲にも散兵狩りに丁度いいかも
_____________________
大砲の弾がある限り零距離射撃を行いました。パチンコ弾のようなバラ弾を200発を1コの砲弾で打ち出します。1回に100名位の敵兵が空中に吹き飛ばされますが、敵はここ新河鎮を切り抜けないと逃げ道がないので死にもの狂いの戦闘になりました(第6師団45連隊第11中隊山砲指揮官・高橋義彦)
884:名無し三等兵
20/11/11 16:11:34.48 96oJQhkcd.net
山砲クラスを戦車砲にすると、数が揃わない
重量増加で工兵の負担がデカくなる
特に数が揃わないとなれば、ハ号で穴埋めしなきゃならんような状況が増えてくる
885:名無し三等兵
20/11/18 17:25:56.38 95OOzzem0.net
ワンオペできない時点で中戦車への搭載は無しだと思うわ
当時の戦い方に57mm短加農はぴったり嵌ってたんだろうし
山砲搭載の支援車両の有効性はそっちはそっちで存在したわけで、常に無駄火力ってわけではないけど
これ一つで全部行ける!(コスト高いです、重いです、遅いです、防御無いです)は最良ではないんだよなあ