19/01/23 00:32:56.15 lej9UInB.net
>>856
平安鎌倉なら騎馬武者(武士)一人に付き食糧の運搬や身の回りの世話を行う従者(戦闘時には兵士も兼ねる)が数名ついて1ユニット
大きな領地を持ってる武士ならそれに従う家の子郎党(親戚や庶子)の武者が数名~数十名+それぞれに従者
有力な御家人や守護の招集に応じてそうしたユニットが集まって指揮下に入り、最終的に数千~数万という数になる
戦国時代も後半になると農民(江戸とは違って武装してる)を徴兵するようになり、武士も戦国大名などに直接使えて兵力も充てがわれるようになって近代の軍隊に近い編成になるし、食糧も自弁ではなく支給されるようになり、専門の荷駄隊も作られるようになった