17/08/13 13:03:13.04 ylMfJyml.net
>>257
吉宗末期の頃から、どうも「重商主義系」と「重農主義系」の政治路線の対立は有ったみたいなんだな。
松平(大給)乗邑罷免の辺りも、その辺を意識すると全体の構図が見え易くなると思う。
重農主義路線側の攻勢の一つの結実がいわゆる「郡上八幡の国一揆」の形になったようだし、
それに対しての家重の意向を受けた田沼の働きが家重の目に適った結果が、
遺言の
「田沼意次は全うとの者なり。行く行く良く心がけて召し抱えるべし」
って話に繋がるんだと思うね。
それに対しての重農主義側の反撃の旗頭が松平定信って事になる。