16/09/10 07:36:38.41 wmjtk74y.net
>>15
>アメリカがソ連の北海道占領を拒否してた
ヨーロッパとは逆か?
終戦直後の状況
第二次大戦が終了したとき、概ねエルベ川の東はソ連、西は英米の占領下にありました。首都ベルリンもソ連軍
の手中にありました。戦後の対ドイツ政策は戦勝国による分割統治と決められ、ベルリンは1944年のロンドン議定書
で米英ソで共同管理となっていました。これにより1945年7‐8月英米軍は東ドイツ地域にあたるザクセン、
チュウリンゲン州から撤兵し西ベルリンに進駐し、ソ連軍も西ベルリンから撤退し米英軍撤兵後の東ドイツ占領区に入り、
東西の占領の配分が決まってしまいました。東ドイツ領域に住んだドイツ人の戦後はここから始まります。
URLリンク(www.doitsukitte.com)
イエナには世界最大の光学機器メーカー、カール・ツアイスの本部があった。イエナはチューリッヒ州にあるため、
ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領がもたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、
イエナをいち早く占領してしまった。しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、
実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
URLリンク(cccpcamera.asablo.jp)