【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る25at ARMY
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る25 - 暇つぶし2ch938:名無し三等兵
16/05/19 13:07:00.14 HkDrvafg.net

火砲は開戦前後までに榴弾砲部隊分は生産仕切れてて、おそらく開戦なければ
カノン砲400門→600門
150榴弾400門→600-800門
100榴弾1400門→2400門
で100mm以上の砲で統一を完了したと思う。
そして火砲の生産コストは追加分あわせても計1億前後でたいして高くもない。

たいして重榴弾のために民間転用できない独自企画の5トン級牽引車類を整備する必要があり、これは火砲よりも高く、史実ではチハ以上に生産したのだが、民間製品などの予備代替製品がないため
予備も含めて計5000-10000両も製造しなければいけないのだが戦時中にいいとこ3000-4000両も製造しきれてない

またそれらを支援するために燃料+弾薬トラックが必要で製品は開発してたのだが量産数が少なく、
それらの車両は1万両以上必要になる。チハ支援もあわせて

結果これらの後方支援車両と十分な機械整備要因の錬成がおいつかないため
火砲自体の製造余力は倍数倍的にあったのだが、牽引車を増やせないから火砲増強は中止された

日本軍ではおそらく1943年までに技術開発を完了して、1944以降に年産2000両の牽引車とおそらく5000両のトラック生産を企てたらしいのだが
空襲とシーレーン破綻でそれらの計画は実質なしになった

ドイツ級の大量生産ラインがなくそれらの整備は開戦前後にできなく、準備と研究が終わったらシーレーン破綻でなしになった。

逆にシーレーンが1-2年維持できてれば、
1945 一式以上の戦車1500両 チハ1500両 カノン砲+重榴弾1000門 105榴弾1500門 重牽引車類5000両 トラック1万両

1946年 一式以上の戦車2200両+自走砲1000門 チハ1500両 カノン砲+重榴弾1500門 105榴弾2000門以上 トラクター8000両 トラック2万両

くらいのペースの生産を企ててた。物資欠乏以前にラインがないから製造できないで、1944ライン建造中に空襲と震災関係なくシーレーン破綻でライン整備と増強不可能になった

であるからもう1-2年シーレーンを維持せれば陸戦力は1.5-2倍の正面を構成できた。
いわゆる陸戦力は十分な総生産体制を確率してなくて準備段階で敗戦したのだ。


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