15/02/28 17:39:45.57 KXF2a12F.net
>>505
あえて答えると。
1945年の御前会議で、食料配給事情が逼迫し、配給量を1500Cal./日以下(確か1400Cal./日弱)にせざるおう得ない、と農務大臣(だっけ?)が答弁していた。それを何とか1800Cal./日以上を維持させる様に強硬に政府が主張したんだっけか。
まあ、終戦交渉が進んで何とかその目処が立ちつつあったからだったんだが。
ちなみに当時は食料輸入は激減し、燐鉱石の輸入も途絶。その結果1945年の麦作は明治以来の大凶作になった。米は忘れた。
更に塩の輸入も途絶し、家畜の疲弊死が秋以降に始まり、1946年春からは同じ事態が人間にも起ると本気で危惧されていたようだ。