17/02/28 09:46:15.12 JeNpsRZC.net
>>356
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
太平洋方面での日本軍戦死者(含自然死)120万人
同じぐらいのナチ兵が“戦いもせず”捕虜収容所で野垂れ死んでいた
どっちが気楽な戦場かバカじゃなきゃわかるはず