ウヨ猿を発狂させるAAat AASALOON
ウヨ猿を発狂させるAA - 暇つぶし2ch80:の中にもそこから「ふぁしすさむ」に移り住んだ人々や、逆に「ふぁしすさむ」から江得琉(えうる)に移り住む人々も少なくなかった。 分断 人口は多い時で69人くらいはいたときもあったが、しかし、1939年に第二次世界大戦が始まって以降、村人たちの間で、江得琉(えうる)に住むイタリア人(ハーフなどの混血を含む)の多くがそうであったように、天皇よりもムッソリーニを支持し、日本の戦争に厭戦的ではなかったが、日本の軍人たちを煙たがっている「ドゥーチェ派」と、天皇を支持しているだけではなく、村の超最極右でこのまま中国とはもちろん、南進&北進を同時に行うどころか、太平洋にさえ兵力を進め、ソ連とアメリカやイギリスと同時に戦争をしよう(事実上、最終的にヨーロッパでの枢軸国の戦争はそうなってしまったが)という「東北南進論」を唱える無謀にしてイカレ過ぎた村長を支持する「村長派」というような派閥ができ、事実上村長が2人いて、村が2つに分断されてしまった。 そんな中で1941年太平洋戦争が始まった日に、村で日本人の傷病兵が1人殺される事件が発生し、最終的にその犯人は捕まらず、その事件が発生し数時間後、村で「アメリカのスパイのイタリア人と、隣の村の朝鮮人がグルになって傷病兵とその家族を殺した」とか「結核患者が村長の家を占拠し、家族を人質に立てこもっている」などという意味の分からん荒唐無稽なデマが発生し、事件発生から半日後の翌日には、村の結核患者2名、3人のイタリア人、精神病患者の朝鮮人の傷病兵1人の合計6人が、村人たち(主に村長派の人達に)虐殺されるという事件が発生し、その後も村人たちは互いに「ドゥーチェ派」と「村長派」が互いに嫌がらせや犯罪行為、今でいうヘイトクライムまでしあい、翌年には正月早々村人の半数以上が(主にイタリア人がハーフなどの混血を含む)が警察に逮捕され、村の人口はほとんどが日本人で「村長派」を占めるようになった。 その後も集落に残された僅かなイタリア人たちなどの外国人(もちろん朝鮮人も含む)日本人の中で数少ない「ドゥーチェ派」や厭戦的な人達、戦争に反対する人達に対し、日本人達の特に「村長派」は、嫌がらせやヘイトクライムなどをしても、警察や憲兵は見て見ぬふりをして黙認していた。




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