12/11/06 15:00:30.83 PfNsyPtx
<中編>
「鬱は考え方、心&気の持ちよう次第」
胃潰瘍&鬱病になりかけるほど俺を嫌がっていた、俺の学生時代の元彼氏(相手は異性愛者ゆえ、無理矢理彼氏認定)を思い出すと、常々「鬱は考え方次第」と思う。
俺が無理矢理くっついた事を「どんだけ嫌だと思ってるの!」、絶叫マシンも前日に一睡もできないほどの苦手感。
どっちみちくっつかれるなら「好かれて嬉しい」と思えばいいだけ。
その程度の気持ちのコントロールもできないから鬱になる。
ついでに言えば、相手が嫌かどうかなんて俺に関係ないし、お前がどう思おうが俺はやりたいんだよ。
「どんだけ嫌だと思ってるの!」と言われるなら、俺は「どんだけやりたいと思ってるの!」と返すだけ。
自分の事しか考えない「どんだけ嫌だと思ってるの!」発言から自己中心性が垣間見え、そういう自分勝手さが鬱の因子なんだよ。
どうしても嫌なら、「これこれこういう理由で嫌」と理詰めで説明するのが最低限必要。
絶叫マシンだって、しょせん座ってるだけなんだから、楽しむのは無理にしてもそれも運命と諦めるか、
或いは、キリスト教的には「原罪」があるのだから、昔踏み潰したアリ殺しの贖罪の為に絶叫マシンに乗るんだ!とか、気持ちを鼓舞させる方法はいくらでもあった。理科の実験でもいい。
彼は親への会話も乱暴になり「最近俺精神おかしい」とか言っていたが
精神がおかしくなるようなことでもない。自己制御も出来ない精神的未熟性。
「鬱は考え方の問題」を証明するような存在だった。
俺は「お前は最近俺にカリカリしすぎだよ」などと諭したのに、その翌日にやはり「もう俺はお前に人生捧げてるよ!」などの、昨日注意したばかりなのにまたしても自己制御不能発言。
終始一貫、自分の事しか考えないその考え方<自己愛の強さ>こそが、鬱の原因なんだよ。
今思えば、この元彼、自己愛性人格障害だったのかも。
一方、自己中ゆえに鬱病にはならない人もいる。
一般論として、「挨拶をしたのに相手が返事しないと、普通の人は『聞こえなかったのかな』と考えるが、鬱の人は『自分が何か悪い事したのかな』と考える」。
しかし、挨拶が聞こえないと相手がシカトしてると決めつけ「お早うって言ってるだろ!朝から!大きな声で挨拶しろ!」 みたいに自分を棚にあげて切れる他責性強き人間は、鬱にならんかも。