12/08/12 13:19:10.46 9uQ0sanl
>>5
>>「苦労」の部分を、健常者と障害者を「同等」にするのが、「障害者への配慮」と言うものだろう。
では、その考察をもう一歩進めてみろ。
なぜ、「同等」にしなくてはならないのか。「同等」にするために他方に犠牲を強いるということは、
どのように合理化、正当化されるものなのか。
「助けるという選択」も「助けないという選択」もともに尊重されるべきものではないのか?
つまり、「配慮する」も「配慮しない」も、その選択には任意性が確保されなければならないのではないか?
そこのところを曖昧にしたまま、
「苦労」の部分を、健常者と障害者を「同等」にしなくてはならない
という命題が成り立つ理由はなにか?
その説明がないままでは、破綻しているのはあんたの論理だというしかないな。