12/05/10 06:00:49.93 HNxS85Gd
>>39 >自分の感情をモニターするのが苦手だから、それが「好き」なのか「寂しいから近づきたい」なのかわからん
一応>>37では、「好き」は無理でも、「寂しいから近づきたい」という感情はASでもモニタリング出来ていると仮定してる。
“愛着の欲求”は個人を対象に取るものではなく、ASに限らず誰でも漠然と常に持つものだから。
関係の浅い頃は寧ろその方がいいんだろうけど、関係が深まってもそのままだと、相手は不安になって、愛想を尽かされるんだと思う。
相手にしてみれば、ちゃんと自分の事を見て欲しいのに、「別にあなたでなくてもいいんですけど」と言われ続けているようなものだからね。
それにしても感情をモニタリングって面白い表現だね。
URLリンク(homepage3.nifty.com)
↑によると、“感情は扁桃体が感覚情報(記憶)に着けた「情報の重み」”なんだけど、
出力情報として該当する記憶を引き出した際に初めて感じる(モニタリングする)ことが出来るみたいだね。
そしてASというか選択的注意の障害をもつ人は、記憶の検索(特にリアルタイム)が非常に苦手。
「好き」と言う感情を持っていても、リアルタイムでモニタリングして
コミュニケーションの中でそれを伝えられなくては、相手にとっては意味がないと言えるかも。
そもそもモニタリングできなければ、自分でその感情の実在すら確信できないわけだし。
>>61 >それはドライとも言える?
ドライとも、淡白とも言えるけど、他者の目から見た場合、そうでない可能性がある。
>>42さんが言ってるけど、積極奇異型の誰彼構わず距離梨な振る舞いも、
その実特定の誰かを好きになったり嫌いになったりしない、ある種の淡白さに起因するものと言える(かもしれない)。