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「意味あり」とか「一線越えた」とか抽象的な表現ばかりで文章の意味が分からなかったから意見しづらかったのと、
意見が欲しかったらメールしろってことと(2chじゃメールでしか明かしてないことは書けないだろ)、
一番大きいのが、あなたね、こんなことの前に、まずは一言、俺に「約束破ってごめんなさい」でしょ。
謝罪をせず、一方的に自分のことだけ書いてるから、俺は意見しなかったんだよ。
自分のことしか考えてないの?
まして、「意見」って、俺はあなたを知らないけど、あなたは俺の個人情報をかなり知っていて、対等ではない。
あなたはいつでも会社に再通報できる環境でもあった。
そんな中で「意見しろ」と言われてもね、例えば、拳銃を向けられて意見が言えますか?
なんでそんなことも分からないのかね?
形の強制は内心の自由に踏み込み得るのです。
たとえば信教の自由。
キリスト教徒に対し靖国なんかへ行く事を強制したらどうでしょう。
「心の中ではキリスト教信じ続けていいから」
という名目で。果たしてこれで内心の自由を守れると言えるのか。内心の自由は絶対的に
保障されるというところは納得されているようです。ならばその内心の自由を保障するための
「のびしろ」の部分が必要である、とまでは考えられませんか?
国家による制約と内心の自由。その対立は起きてもしょうがないし、起きなければ不健全です。
しかし法律による強制は内心の自由に肉薄して侵入しうるものです。
その「危険性」に対する防御方法が一切考慮されていないところに問題があるのです。
大坂冬の陣で徳川は大坂城の内堀まで埋めました。あの状態で豊臣側は徳川への意見申し出など
できましょうか。したらどうなったでしょうか。
あっと言う間に根絶やしにされました。
権利を保障するならばその方法まで保障する。それが憲法理念であり31条にも通じるものがあるのです。
それを強制や処分をちらつかせて従わせる。
おっと、話が逸れた。つづくよ。