11/12/15 07:25:36.30 1lN63B3C
>>306
>個人的には「ボダってそうだよね」みたいな同情や共感は許されてもいいと思うし、
それは、肯定は認めてもいいけど、疑問や否定は認めないってことかな?
それとも「それって本当にボダなのか?」とか「それはボダではないだろ」とか
「そういうボダもいるし、そうじゃないボダもいる」みたいなのも同様に認めていいということかな?
一般化しない肯定表現なら簡単だよ。
「自分の相手もそうだったよ」と書けば良いのだから。
余程ボダっぽくない共通点でもない限り、疑問を挟み込む余地すらない。
また、仮に「自分の相手はそうじゃなかったよ」と書く人がいても、「人によって色々なんだね」で丸く収まる。
愚痴スレである以上、肯定(同情、共感)を許容する意義はよくわかっているのだが、
疑問や否定を排除しようとすれば、一般化にエスカレートする輩が多く出てくるのも事実なんだよね。
どこぞの独裁国家でもあるまいし、肯定だけ認めてそれが一般認識化していくのが
よろしくないことくらいわかるだろうに。
前スレの女性恐怖症の人は「女の大半以上がボダで喘ぎ声も演技だと知って女性不信になった」と言っていたが、
認識が歪んでも構わないなら、「そうだよね、ほとんどの女ってボダっぽいよね」って返すわな。愚痴なんだし。
実際は肯定する人なんてほとんどいなかったけどな。
「ここには女性のボダ被害者もいる」という認識がちょっとでもあれば、脳天気に肯定なんてできんわな。そりゃ
あるいは「ボダの家族もボダだろ」と言った人がいて、俺は「ここには家族がボダで悩まされている被害者もいるんだぞ」
と返したが、一般化に対する反論が容認されないならこれもNGということになってしまう。
・・・まあ、その時は書いた当人が理解して取り下げたけど。
こういうのも、一般化さえしなければ別に肯定してもいいんだけどね。
現実に、家族(特に親)が問題であるケースは決して少なくないのだから。
ただ、メジャーな傾向だからといって不用意に一般化すれば、
それに該当しないマイノリティの立つ瀬がなくなりかねないという認識は持って欲しいと思う。
実際、色々なボダ被害者が見ているのだし。