11/12/01 22:53:50.12 EgCsojgD
>>101
家族だと世間体とかそういうのもある場合もあるかもしれないけれど、
私の場合は家族では無く交際相手だったので、世間体とか視線とかは全く関係無かったです。
そして、言われている半年っていうのも、恐らく世間体とか視線とかでは無いと思います。
余談になりますが自殺した交際相手の場合は近所の人にわからない様に家族葬の密葬が行われるので
やはりその家族も世間体とか視線とかは無かったんじゃないかと思います。
>>101さんの質問のストレートな回答としては「世間体とか視線」ではなく「落ち込む時間」となります。
ただ、落ち込む、というのも、自殺したの人の親なんかはそれはとても落ち込むでしょうが、
自殺の場合には一般的に落ち込むという言葉で想像される感情とは若干違ってより複雑な気がします。
やっぱり、「死」っていうのは、かなり強烈です。
私、自分で言うのもなんですが、そこらの同年代よりひどく辛い経験もしてきたと思います。
でも、そんな私でも、想像以上に強烈でした。
自殺する本人も、極限に辛い状況からの唯一の脱出方法として選択すると同時に当然人生をそこまでで「終わりに」してしまうわけですが、
まわりにいる人にとっても、その人の人生が「終わって」しまうので、もうどうしようも無いわけです。
自殺した人のまわりの人にとって、そのへんが非常に辛い、というんでしょうか。
当然、何かできたんじゃないか、とかとも思いますよね。
自分がこうしなかったら生きていただろう、とも思いますよね。
実際のところは今2行で書いたような口であらわせる感情なんていうのはすぐに癒えるんですけど、
もうどうすることもできない、どうしようも無い感情、でしょうか。
(つづく)