12/01/01 00:00:38.64 UmUbP+rw
>>264
禅には不立文字という考えがあって、言葉や理屈で理解するだけでは不十分。
釈迦の悟りを自らの身を持って体験、体感しないといけないという考え方があります。
これは非常に深い感銘を受けました。
だから一人で学んではいけない、必ず師匠から教わらないといけないのですが。
長時間の座禅は苦痛です。本当にしんどいです。肉体的、精神的に。しかし
高僧は、何時間でも出来ます。そして非常に美しい形で座禅を組みます。
ある高僧が言った
「私」が座禅を組もうと頑張るんじゃなくて、座禅をしようとする態度、姿勢、形が
座禅をさせる境地。
「本当に修行そのものが悟そのものである。形そのものが精神そのものである。
態度そのものが道そのものである。」
これは深く心に響きました。
「私」が座禅をしようとするのではなくて、座禅という行為に自分が飛び込む。
つまり、「私」が消えて「座禅」が座禅をさせる境地。これはまさに脱中心化の概念そのものではないか
と思いました。
間違ってるかもしれませんが、今の私に言えるのはこの程度です。