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日本人として考えさせられる恐るべき真実
自民党と暴力団の癒着構造
50年代を通じて高揚した左翼運動が頂点を迎えるのが60年の安保闘争です。
デモ隊が国会構内に乱入するなどの大きな混乱が生じ、自衛隊の治安出動まで検討されたと言われます。そこで当時の首相岸信介は最悪の事態に備え児玉にヤクザへの仲介を依頼。
鶴政会(現・稲川会)の稲川角二、住吉一家(現・住吉会)の磧上義光らは岸の要請に応じて有事の際は組員の動員を決定しました。
なお、この際山口組の田岡一雄は動員に応じず静観していたことは注目に値します。
現在、岸信介の率いていた岸派は福田派・三塚派を経て森派に受け継がれています。つまり自民党、とりわけ森派は歴史的に稲川会・住吉会に恩があるわけです。
頂上作戦を受けて、岸に協力した関東ヤクザは児玉の指導の下、右翼団体「関東会」を結成して政治団体化、生き残りを図りました。
関東会は錦政会、住吉会、松葉会、日本国粋会、義人党、東声会、北星会の7会派からなる連合体です。
もっとも関東会は内部分裂により翌年には解散してしまいますが、これによって関東ヤクザの政治団体化と児玉の連携は決定的になりました。
日本における暴力団系右翼は現在も関東系の稲川会系と住吉会系が中心となっており、自民党と良好な関係を保っています。
とりわけ森派の民族主義傾向の強さはこれら団体の存在と表裏一体であることがわかります。
実例を挙げるならば、森派が一枚噛んでいる「救う会」と住吉会系右翼「日本青年社」の間に密接な関係があることなど、枚挙にいとまがありません。
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