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■怠惰とゴマカシの女王・浅田真央がバンクーバー五輪までの4年間をどう過ごしたか
2005-06年
マオタが大増殖した日本スケート界の黒歴史の始まり。
当時アイドルだった安藤がフジテレビに独占されてしまったため、対抗手段として
テレビ朝日が自局で放映するGPFを「真の世界一を決める戦い」などと誇大広告、
まだ手のつけられていない浅田を独占し、松岡修三が「真央ちゃんが五輪に出れば
金確実!」と出られっこないことを前提にした大ボラを吹きまくった。
フィギュア音痴だった日本人がこれを真に受けてしまったのが事の始まり。
荒川金メダルの快挙にも、大量増殖したマオタは 「在日荒川の金メダルは八百長」
「レベルの低い大会。真央ちゃんのライバルのキム『ユ』ナの方が実力がある」などと
誹謗の限りを尽くし、スケート協会は当時の幹部をスキャンダルをリークして退陣させ、
浅田一派で首脳を独占、今に至る浅田ゴリ押し体制を作る。
当の浅田は未成年なのにCMに出まくって金もうけに専念していたが、金を取られて
悔しさいっぱい、荒川の名前はマスコミに聞かれてもいっさい口にしなくなり、対抗心
丸出しで「次に出るジュニア世界選手権のフリーで4回転ジャンプを跳ぶ」と宣言する。
しかしそのジュニア世界選で格下と侮っていた韓国のキム「ユナ」に惨敗。太田以来
3年続いていた日本の連続王座を手放す。
主な敗因はこの年の規定ジャンプであったトリプルルッツに苦戦したこと。
何と4年前から弱点は露呈していたのにこの欠陥が8年後の現在まで尾を引く。
キムヨナに惨敗後、話題逸らしに会見で「4回転サルコウを跳ぶ」と宣言。
このハッタリも以後の定番として今日に至っている。