11/08/29 22:18:54.65 発信元:114.48.53.9
>>289
一つ一つ議論すると面倒な言い争いになりそうなので、とけたとけた詐欺をやって話を終わらせる。
「98年パート」については、魔法のルールをそのまま適用すれば書かれている範囲で箱の外側で何が起こっているのかは明白だし、
箱の中は、所詮果ありきの後付なので特に意味はない。という答えが正解。
結局のところ、伊藤幾九郎の偽書に縁寿の話が有ったのなら、それは偽書作家伊藤幾九郎による憶測だというだけ。
だから縁寿が死んだと思った時点で書いた偽書で縁寿がひき肉になって死ぬし、手紙をもらって実は生きていると知ったらEP6で生き返るし、
その後に六軒島に向かった後消息をたった縁寿が偽装だと思えば手品エンドだし、
どうせ偽装死したんだろうと思って一なる真実の書発表会を開い縁寿をつり出そうとして、結局縁寿が姿を見せなかったのなら、
本当に六軒島へ行って今度こそ死んでしまったと思って、また縁寿が幻想図書館から飛び降りて死ぬシーンをかく。
縁寿が何度も死んだからくりなんてものはこんなものだと思うが、なぜ超常現象や超能力を持ち込んで説明したがるのだろう。
A.ベルンカステル狂信者だから縁寿の物語にハッピーエンドを与えない。
「ファンタジーだから何でもあり」と超常現象としか思えない理解不能な概念を持ち込まれても、その概念が私には理解できない。