11/08/28 16:14:06.11 発信元:1.112.177.255
>>285の内容については、事実には同意、解釈は人それぞれって感じです。
> ・記憶だけはやたら細かい
記憶はあるが自分のものだと実感できない病気というのは信用できないという意味では同意。だからといって幾子が洗脳したというのは疑問。
> ・福音の家では幾子視点
読み返してみると、幾子も縁寿も名前で記述しており、縁寿しか知りえないと思われる情報があるので、幾子視点と言い切れないのでは?
メタ視点縁寿が主観か、妄想込みであれば縁寿も影武者を使って十八にあっていたとか。
> ・幾子が常に付き添っている(車椅子で密着)
> ・ゲーム外tipsで依り代にはふさわしい下準備がある程良いとある
下準備=説得力だと思いますが、解釈は人れぞれでしょう。
> ・金蔵はEP2で、ベアトの微笑みに及ばない、みたいに言ってたから本物に感じるのは簡単ではないと解釈
> (EP6のバトラも同じ)
その一点で偽物扱いするというのは戦人が縁寿に求めるハードルとして高すぎるとおもいますが、解釈は人れぞれでしょう。
> あと真理亞は量産を知らない前提で話してたわ
それは自説にかかわる話で別件になりますが、EP7の真偽について一考の価値があると思ってくれれば幸いです。
もし、EP7を信じるなら、真理亞は量産を知っている可能性が高い?
では逆に真理亞が量産をしらないとすれば、EP7は信用できないのでは?
このように、考えた場合の話ですが、EP7におけるクレルの自白の中で、戦人が帰ってこなかった場合には
・事件が起らなかった
・殺人事件に比べてとても小さな不可能事件が起こっていた
以上二つの可能性が提示されています。
EP7がベルンカステルがベアトより一回り大きな猫箱で囲った世界であることを考えると、
「現実の六軒島では、戦人が帰ってこなかった。そのためか、殺人事件は起こっておらず、しかしベアトリーチェの不可能事件が存在している。
クレルの自白はすべてIFの世界の話」
とも考えられないでしょうか?