14/03/03 00:06:00.42 y2MZmCyD
>>200
古代シナに春秋戦国時代(紀元前6世紀頃)というのがあった。
当時、揚子江を挟んだあたりに、とても仲が悪い呉、越という国があった。
この二国仲が悪いので戦争をしたが越が負けてしまって越の国王は、
呉の捕虜になった。まったくの奴隷のような身分にされた。
呉王の馬小屋の番人(臥薪の由来)にまでされた。越王の奥方は一時、
呉王の側めにもされた。
越王は再起を図っていたが、毎日、その悔しさを忘れまいとして、極めて
苦いとされる熊の胆嚢(嘗胆)を舐め、その屈辱の記憶を心に叩きこんだ。
そうして忍耐して再起を図った。忍耐努力して呉王を信頼させ本国に
たびたび帰れるようにし、帰ったときは部下たちには富国強兵策を指令していた。
そうして終には、呉王が油断して北方の遠征に出かけ城をがら空きにした隙を
狙って、呉に攻め入り呉を滅ぼした。