14/02/25 21:08:52.37 b9Vld8RO
>>107 つづき
さらに下って醍醐天皇の御代中国の律令統治に成果が出ず、肝心のシナでさえ律令制に限界が有り
脱出方法が見いだせないとき、醍醐天皇はシナから離れ日本独自の道を探し見つけたのが国民皆文字を
読めるようにすることが、国が発展する根本的大事だと理解し、日本に表音文字ひらがなを正式に
古今和歌集の編纂により国民に示し、女子供でも読み書きソロバンを奨励した。
この日本国民皆文字が読める国策は、直ぐに成果が現れ後に清少納言・紫式部と言う女流作家による
文化が花咲いたのです。
さらに時代は下って戦国時代には、尾張中村の百姓の子日吉丸が文字が読めたが故に武士になり
大名になり天下を収めるまでに出世できたのも、ひとえに女子供でも読み書きソロバンが出来る国を
目指した醍醐天皇の思いが実現した。
百姓成り上がり故に茶会に百姓町人誰でも参加できる大茶会を開いたり、醍醐の花見を開いたりして
大衆文化育成し、庶民文化を大きく開花させていった。
また日吉丸は百姓の子で有るにも関わらず、貴族の養子として迎えられ貴族の一員に成り後に
貴族の最高職務である関白にまで上り詰めたのです。