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当時日本は外交、軍事などの最高機密用の暗号文作成らを「九七式印写機」とよばれる機械によって行っていました。タイプライターに似た形と容量をもつこの暗号機を、日本は昭和12年に開発し、アメリカ・イギリス・ドイツ・ソ連などの主要駐在大使館に設置。
日本はこの機械に絶対の信頼をおいていて、機械そのものが盗み出されでもしないかぎり解読されないと思っていたところ、アメリカはこの日本自慢の暗号機を標的として1938年(昭和13年)に解読に挑み、1940年9月には成功していたといわれています。
真珠湾攻撃の一年も前から米国に日本の外交機密はだだ漏れ。奇襲を演出し、米国国内を対日一色にするのが政府の考えだったのでは。現にルーズベルトは真珠湾攻撃の際、参謀に日本進行を知らせながら真珠湾の隊員には何も言わず。本来の奇襲を敢行させる犠牲としたのです。