12/05/14 13:24:40.60 gsjUUS7N
>>257の続き。
当時明朝の政治は比較的平穏に収まっていた。明神宗は皇帝らしく紫禁城内でゆったりと過ごしていれたものの、一方張居正の当時の政策の成果は次第に崩れて来ていた。申時行や王家屏等の主なる大学士の人達
は張居正の権勢が朝野を傾けたと取り上げて、絶えず内閣の権力を弱化し無視し続け、順次権力を弱めて遂には中国隋代から清代まで行われた政治制度を取り辞めてしまった。西方や北方の世情は比較的ずっと安定
していた。遼東部は波乱はあったが、前線の勝報は絶えず齎されていた。