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(自民党) 中曽根康弘と原発
URLリンク(genpatu.doorblog.jp)
1 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)2011/03/15(火) 19:06:16.97 ID:Jy0wx4Ic0
日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。
wikiより
この人地獄行き確定だね。俺が閻魔なら冥獄界行きにするわ。
3 :名無しさん@お腹いっぱい。(東海)2011/03/16(水) 16:54:46.17 ID:yI+5UGHzO
URLリンク(blog.trend-review.net)
今回は、原子力の父と言われる正力松太郎=読売新聞社主とアメリカの関係を中心に扱いたいと思います。
【中曽根?正力ラインによる原子力予算上程までの動き】
URLリンク(www.marino.ne.jp)
1945.8.6日、中曽根康弘は4高松で広島のきのこ雲を遠望した。この時次のように思ったと云う。
「私が戦争中海軍に動員されて高松にいた時、
広島の原爆雲を見た。この時私は、次の時代は原子力の時代になると直感した」(中曽根康弘「政治と人生―中曽根康弘回顧録」講談社p75)
1953年、復員後政治家になった中曽根に、マッカーサー司令部のCIC(対敵国諜報部隊)に所属していたコールトンが接近し、ハーバード大学で開催されたキッシンジャーの主催するセミナーに招聘した。
この時、中曽根はネオ・シオニズムの黒子であるキッシンジャーに認められ、将来の出世と権力が保証されるエージェント契約を結んだ形跡がある。
1954.3.2日、中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力予算が上程された。