12/02/02 00:13:57.62 KChYD5q8
以下、長すぎるから細切れに区切った
>自分に制約を課すことになる社会を壊すことが、 自由であり善だとするような考えを抱いていると・・・個人がアトム化とする
まあ、これは具体例がなくとも、前後関係から必然的にそうなるね。
>自分の存在意義を疑わせる苦しみに付け込んで・・・むしろ自由がない状況が生まれる
具体例は?
まあ、そう固いことは抜きにするとしよう。俺はそうは思わん。理由は2つある。第1に、ファシズムは個人がアトム化した結果、誕生したのではないからである。
ファシズムとは、本来全体主義文明に属する欧州大陸人の発明であり、これが普及した地域は、そもそも個人の存在が権力により抑圧され、微弱であった。
欧州では、かつてはカトリシズムが人々を抑圧した。社会が世俗化していくと、今度はナショナリズムやファシズム、共産主義といった、新たな全体主義思想が発明・普及して、
かつてのカトリシズムのように人々を抑圧した。このように、欧州文明とは元来全体主義文明であり、君が挙げたファシズムもカトリシズムの焼き直しにすぎない。
第2に、個人がアトム化すると、結局それは自由主義に向かうからである。個人主義は自立した人間像を理想とする。そのためには国家や社会からの抑圧を防ぐ必要がある。その
結果、個人の選択を尊重する自由主義が生まれた。実際、個人主義が早くに誕生していたアングロサクソン文明は、自由主義という考えを生み出した。
(典拠:URLリンク(blog.ohtan.net))
したがって上記2つの理由より、個人がアトム化しても、全体主義文明が生み出したファシズムに向かうことはなく、自由主義へと向かうと考えられる。