12/01/31 09:44:32.62 AKGshrW5
>>469
>して君は歴史に何の評価も下さないのかね
人間は人間中心主義的な実存性によって、自分を位置付けるのではなく、社会が人間に対し、リアリティと存在意義の輪郭を作り上げる。
人間にとっての自由の本質とは、そうした存在である社会の多元性がどれだけあるかといったもので表層的な結果に過ぎない。
こうした弱い存在としての人間観を欠如したまま、自分を位置付ける、すなわち自分に制約を課すことになる社会を壊すことが、
自由であり善だとするような考えを抱いていると、個人がアトム化とすることによって自分の存在意義を疑わせる苦しみに付け込んで、
ファシズムのように人間が共通に抱える情動によって、単元的な社会、つまりむしろ自由がない状況が生まれる。
君の内容を読んでいると、自由とは人間中心主義的な概念でヘーゲル流の歴史観に善という評価を抱えてるように思えるが、
戦後における政治哲学分野で、そうした事を否定する状況の中にあっては、決して俺は同じようには思わない。
また歴史とは、権力者の恣意性によって自然的な価値観として植えつけることによって成立した社会における営みである。
現代社会も同じであるように、過去を振り返っても「日本の風土の本質とは人が権力により抑圧されないことである」といったような物でもない。
そうした社会の中で生きる人間として、抜けきれない「偏見」と「先入観」があることを意識の表層に抱えながら、自分なりの表現として評価はする。