12/01/30 01:00:00.97 o8AV/7jZ
>>436
>宮廷費まで節約すると天皇に言われて野党も協力せざる得なくなるよ
第二次伊藤内閣の時に出された和衷協同詔勅だが、俺は、これを一種の見識ととらえたい。
当時の日本は、そもそもこの詔勅を出した理由だが、清国との戦争を準備する必要があったからだ。
有事には、民主主義国家は憲政の常道を外れる。例えば、イギリスでは戦争が始まる前の1931年から、
既に挙国一致内閣が成立し選挙は停止された。しかも、これはジョージ5世の意向を受けてのことだ。
少なくとも、近代以降の日本では、天皇の威光を振りかざし、権力を掌握した者はいない。第二次伊藤
内閣の時は戦争準備をする必要があり、しかも議会が未成熟であったので、天皇に和衷協同詔勅の発布
を求めるのはやむをえかった。現に、これより後、しばらく束の間の平和が続き、民主主義が成熟した
大正時代には、天皇の威光を振りかざし権力を保とうとした桂は総辞職を余儀なくされた。不信任案を
撤回させるために、天皇の詔勅を盾にしたにも関わらずである。尾崎行雄のあまりに有名な演説からは、
権力を持つため、天皇の威光を振りかざすことは、当時でもただ非難されるだけであったことを証明し
ている。
226事件の跳ねっ返りが・・・・歴史の事実だよ
・・・で?天皇親政を掲げて反乱を起こした226事件の首謀者たちは、結局政権掌握
に失敗して処刑されたよね。これは、天皇の威光を振りかざし、権力を掌握する行為
は、支持が得られず失敗することの良い例だよね。ならば、この例は逆に、天皇の威
光を振りかざすことでは、権力を掌握することができない、という主張をむしろ補強
する好例といえるよね。