11/11/28 13:49:59.63 lneNPxmI
上記に書いたように、現代人における国体とは、多元的な現代社会における価値観によって
現在から過去に向けた眼差しによって認識し得たものから、バイアスが掛った取得選択によって愛着を得る事になったものだと思います。
私であれば、それは国民主権に根ざす民主主義であり、憲法とは国民の意思によって作り上げる物だとする精神です。
そのような私の国体に即して考えるなら、戦後憲法における制定過程のあり方は、馴染めるような物ではない。
よって(>641)に書いたように、目的とする所は憲法条文における改正そのものよりも、
民主主義の基層の上に新憲法を創設することであり、私が望ましいと考える国体の姿に近づける事にある。
もちろんこうした、憲法改正よりもラディカルな姿勢は、自爆くんみたいに帝国憲法に回帰する上で、
議論が巻き起こることはないとするような、トンチンカンな認識を持つつもりはないです。
十分な議論を経た上で、「試み」として選択されることがあればとするような認識の上にあります。
あるべき論的なところから、間違ってないとする観点によって、普遍的であるとする「知」としての地位を要求する観点から、
自主憲法制定を望んでいるのではありません。
それではGHQや自爆くんと同じ姿勢でしかないです。