11/11/24 19:31:12.92 MsSKhCEs
民主主義とは、何かしらの価値を勝ち取る為に民主主義的な手続きを通じて、
積極的な姿勢が求められる政治制度。そこには私的権利のみならず、国家の目標やあり方などの公的権利も含まれる。
そうした民主主義における理想から言えば、憲法は民主主義の基層の上に成り立つ存在で、
憲法はアプリオリ的に考えることが出来るような存在じゃない。
しかし、敗戦を迎えた日本は民主主義の基層が十分に培われることが無いまま、戦後日本国憲法が押し付けられ、
GHQ、芦部や宮澤等々によって、啓蒙主義に認められるような普遍主義的な理想を基層とした上で、
教条的な解釈法学的考えを通じて、獲得することもなく単に与えられた私的利益にしか関心が無い、
民主主義社会を作り上げた格好だ。
ところが60年代以降、政治哲学の世界では啓蒙主義的な考え方は否定され、
教条的な解釈法学に認められる考えも、根無し草のような状態で漂い、現在でもそれに従ってるだけ。
まさに日本は民主義主義というよりも、押し付け憲法に基づく立憲主義に成立してるお国柄であり、
戦後左翼からすれば、もうそれは国体的な感覚。アプリオリに考えることしか出来ないレベル。
日本が民主主義を基層とする社会を望むなら、改正、廃棄、無効、もちろん維持も含めて、
制約なき国民による積極的な姿勢における熟慮と判断の行為を通じて、
憲法教による教条的な社会の打破は必要だと思う今日この頃。