11/11/16 16:35:05.13 4LNGOjmG
憲法研究会の草案は、当時において様々な民間団体や政党が示した草案の一つに過ぎなかった。
それがGHQの目に止まったのは、アメリカの占領政策に合致したものであることと、
それを強制的に実行し得る、思うよくん風に例えるなら、強制力としての”軍の肘鉄”をアメリカが有していたから。
決して、広く日本の中に自然的に根付いてることが、そうしたアメリカの思惑に沿った占領政策に先立って、
あった事を根拠にして参考にした訳ではない。
根付いたのは、飽くまでも憲法草案の上からの押し付けを含めた、アメリカの占領政策の結果にある。
そうしたアメリカの国益に従って作り上げた日本の社会に飼い慣らされた人間からすれば、
西部流に表現すれば「押し戴く」態度を通じて、今の日本人がある。
そうした自覚性を欠如した人間が「思うよくん」ではないだろうか。
そもそも国家とは最高の独立性を有する存在である以上、他国によって憲法は押し戴くような物ではないのではないかと、
様々な知識を通じて自覚できる人間には、違和感として抱えることになる。
特に憲法研究会の草案にもなかった、憲法第9条のような存在は、実質的意味を考える上で求められる従う理由を考慮すれば、
お花畑のような存在を除けば、最高の独立性を束縛する外圧による制約的な意識を抱えることで、
日本国憲法としての自立性に対し、強い影を作り上げる結果になってる。
結果として、他国に対する贖罪としての条文を通じての制約が、日本が経済大国でありながら、
それに相応しい国際社会の地位に付けないことや、アメリカの属州だと自分自身で揶揄することに抵抗を感じなくなってる人が多いことに、
繋がってるのではないだろうか。