12/05/11 23:50:24.48 iksXlSCc
>>663続き
~突然、ゴゴッと大きな音が聞こえてきた。余震なのかと思った。すると、しばらくして、作業員2~3人があわてて飛び込んできて、
「津波がきている」と叫んだ。
部屋にいた面々は、駆け足でおりて、建物の外に出て、海を見下ろした。高く大きな津波が原子力発電所をのみこもうとしていた。
みるみるうちに、何台もの車が流されていき、大きなタンクのようなものが波間に浮いているのが見えた。
とんでもないことが起きるんじゃないか。体が震えた。室内には怒号に似た声が飛び交った。
「1号機、水位がわからないぞ」
「2号機もだめだっ」
「電源トリップ(停止)」
「発電機がやられた」
「2号機、再起動したが、トリップで注水できません」
当時のメモにはこうある。
〈血の気、ひく〉
頭によぎったのは、「全交流電源喪失=ブラックアウト」だった。
電源は回復しないまま、作業員たちは携帯電話の画面を懐中電灯がわりにしていた。恥ずかしいことに、原発内には、
懐中電灯はもちろん、電池すら必要十分な量のストックがなかった。手分けして集められた電池や懐中電灯の数を見て、
1・2号機の中央制御室にいた同僚は、「たったこれだけか」と絶句したという。原発で働く者も、原発の「安全神話」を信じ込んでいた。
手帳のメモにはこうある。〈電ゲン、確保 ユウセン〉
頭が混乱していたのか。電源の「源」の字が思い出せなかったのだろう。このあともずっとカタカナだった。
電源車の手配はずいぶん前に本店(東京電力本社)に要請していた。しかし、一向に到着の連絡はない。
到着見込み時間すらわからない。いくら地震の被害が甚大だとしても、もう到着してもいいはずだが......。