新奈良県のラーメン屋その3at RAMEN
新奈良県のラーメン屋その3 - 暇つぶし2ch28:ラーメン大好き@名無しさん
12/08/19 21:57:19.83 BfzUfmet
天皇は陸海軍の大元帥であり、その統帥権はなんびとも侵犯できなかった。
その天皇の命令で、日中戦争も太平洋戦争も戦われ、多くの軍人、軍属、民間人が死亡し、家や家族を失った。
天皇の戦争責任は、東條英機よりも近衛文麿よりも重い。

その戦争責任は追及されねばならない。
そうでなければ、「上官の命令は天皇の命令」と命を落とした兵が浮かばれぬ。

戦争指導部は、言うまでもなく、天皇を大元帥とする軍部であり、宮中や元老なども大きな戦争責任を有していた。
それを「一億総懺悔論」ではわざとぼかし、全ての国民に戦争責任があるとしたのである。

よく昭和天皇は、太平洋戦争の開戦には消極的で、軍部に押し切られて開戦を決め、終戦は天皇が「聖断」によって決定したという論議がある。
つまり、陸海軍の大元帥といってもお飾りだったのが、なぜか終戦の時だけ尋常ならざる指導力を発揮したという奇妙な考え方である。
これが、いかに眉唾であるかは、すべて戦争行動は奉勅命令により行われ、開戦にあたっても御前会議で議論を行い天皇が裁可していることをもってしても、明らかである。

開戦か交渉かという閣内意見不統一によって、近衛内閣は総辞職、開戦を決意すべきとした陸軍大臣である東條英機が天皇によって次期首班に任命された。
これは昭和天皇自身が開戦の決意をもっていなければ、近衛の後継者に東條を据えることなどありえず、その意思が明瞭にあらわれている。

昭和天皇は、日中戦争を含めた戦争において、一貫して戦争遂行の最高責任者であり、陸海軍を統帥する戦争指導者であった。
天皇は陸海軍を統帥する大元帥として、直接作戦に介入し、戦争指導を行ってきた。
十五年戦争の期間において、参謀総長は5人交代し、軍令部総長は6人が交代したが、昭和天皇のみが大元帥であり続け、すべての情報が集中する最高の地位に座り続けたのである。
日本の軍隊は、天皇が兵権をもつ、天皇親率の軍隊であった。
例え、大将、元帥といえども、大元帥たる天皇の命には逆らえず、戦争遂行もまた天皇の指導によって行われたのである。

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