14/01/22 18:03:30.57 ipoezzpz0
北大阪電鉄1形も箕面有馬電気軌道1形も共に大津に行っている。
北大阪の1形は新京阪線が1500Vになる際に600Vのまま愛宕山鉄道と現在の近鉄生駒線へ。
愛宕山は京阪と京都電灯(後の京福や関電)が出資していて、廃止された際に出資比率に応じて
京阪と京福(福井)が引き取った。なお、この時代の京福と京阪はグループ会社ではない。
正雀にいる10系は車体形状は似たようなものだが昇圧されて阪急では昭和38年頃まで走っている。
桂で本線を通過する2302と停車する嵐山線の10系が映っている写真がネット上にあるね。
能勢電では昭和41年頃まで走っている。
箕面有馬の1形は合併時代に四宮車庫の火災で車両が不足したために、大阪市電を経由して
大津まで回送されている。34形も3両すべてが回送され、そのまま会社が分離され生き別れに。
33:名無し野電車区
14/01/24 14:50:09.29 9XLqsiKxO
>>32
京津線はさすがに走れんだろ。
34:名無し野電車区
14/01/25 15:18:43.29 +7jC+0M60
箕有1形も北大阪1形も石山坂本線だけですな。
併用軌道のある京津線ではステップがないと運用できなかっただろうし。
35:名無し野電車区
14/01/25 16:26:03.48 +7jC+0M60
60系の冷房の話だけど、パンタグラフの路線だし薄型のは元から採用するつもりはなかったんじゃない?
他地域の地下鉄でも、第三軌条線は薄型で、架空集電線は一般的な鉄道と同じものを乗せている。
大阪市営で初の冷房改造は10系の第一編成(旧20系)だろう。
60系は車体強度があるものを抽出し、なおかつ付随車には非冷房のまま廃車になる電動車の台車を
転用して重量の増加に対応したが(これは30系も同じ)、それでも車体などに無理が掛かり想定
よりも早くに引退した。最晩年は意図して北千里に行く運用がメインとなるようにされていた模様。
日本車輌製の車両(04~08編成の25両)は全車冷房改造されることなく引退したが、残る65両も
6700形の再電動化や運転台機能の復活などをしない限り、6M2Tの8両編成だとどう頑張っても5本
(40両)までしか冷房改造を兼ねた再編はできないね。長文でスマソ。
36:龍仙峡
14/01/25 17:03:57.91 tGtII0OF0
堺筋線は大阪のオフィスや官庁街を行く感じだね。
そんなに混んではいないね。
旧塗装もあったね。
37:名無し野電車区
14/01/25 18:46:49.87 y9RHz4CBO
>>36
号線カラー発足時のエンジ色か。