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後世世界もとい平行世界もの
◎日本国有鉄道E50形蒸気機関車
1951年朝鮮戦争末期、38度線での膠着状態の元凶中国共産党支配下満州への侵攻を目的に、マッカーサーの国連軍は、
朝鮮半島と言うよりは満州沿岸部とも言える北朝鮮支配下の咸鏡南道北部と咸鏡北道南部の両沿岸部を奇襲攻撃し占領。
中ソ国境までは至らなかった。同年停戦後は薄い北鮮を挟んで中ソに近い同地は米軍軍政下に。
翌年、韓国の初代大統領で狂気の独裁者李承晩が李承晩ラインを宣言し日本国の竹島と対馬と済州島東部を侵略した。
日韓の宗主国米国は介入し原状回復、韓国の蛮行への懲罰として米国軍政下の咸鏡道中部沿岸を韓国に返還せず、
韓国から日本への永久租借地の体裁で同地の民政を日本に委譲した。これにより日本国任那府が誕生。
地名は古代朝鮮南部にあったヤマト王権の任那日本府をもじった。
そもそも咸鏡道は満州族の領地であって中世に李氏朝鮮が征服。
任那府は、北朝鮮に囲まれ、気候は北海道並の寒冷地、地下資源が豊富で、戦前の朝鮮総督府下と同様に端川と城津を
中心に工業地帯として発展。
戦争で壊滅した旧朝鮮総督府鉄道の咸鏡線等の各路線が国鉄によって復興したが、復旧財源の制約や車両の共通化による
合理化などの理由で日本本土と同じ狭軌になった。舞鶴港等を起点に日本海を横断する鉄道連絡船も設定。
北朝鮮とは軌間が異なり直通せず国境で接続だけ。
1950年代に任那の鉱石運搬重量級貨物列車専用機としてE50形が新造投入された。
D52に動輪一つ追加の軸配置1E1、曲線通過の為にE10と同様に第三・第四動輪はフランジレス。
本土に比べ地盤と路盤が堅く元々大型の標準軌路線故に軸重制限及び最小曲線が緩いので
E10で顕在化した急曲線でのレールへの横圧過大は懸念材料にはならない。
酷寒地なので乗務員の労働条件改善に運転台は密閉キャブで自動給炭装置、さらにボイラーを全溶接構造として圧力は
国鉄SL最大の18kg/cm²で国鉄最高出力機の一つ、軸受けにローラーベアリングなどの新技術も採用。
英国鉄クラス9Fの日本版と評される。
国鉄の動力近代化計画では北任那は後回しにされ、E50は長年同地で活躍したが、1970年代半ばから急速に無煙化され、
1978年に完了、全廃された。
87年国鉄分割民営化で同地はJR任那が継承。