架空の車両形式・番台スレ 20次車at RAIL架空の車両形式・番台スレ 20次車 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト400:名無し野電車区 13/01/13 10:23:41.02 /N66f/430 キハ787系気動車 401:名無し野電車区 13/01/14 20:01:07.46 +lPh8OHm0 国鉄E10形 板谷峠で使用されていた4110形を置き換え、輸送力増強を図るべく登場したタンク式蒸気機関車。 当時同区間の電化工事が計画されていたことからそれまでのつなぎとして5両が投入された。 先輪・従輪を設けた1E2の軸配置としたが、曲線通過を容易にするため第3動輪をフランジレス、 第1・第5動輪と先輪・従輪を横動可能とする構造は4110形を踏襲している。 一方で出力を向上させるためボイラーを大型化(直径はD52形のそれと同じ)したが、 急勾配の連続する同区間では人力による給炭は限界に近く、また、トンネル内での煙害発生も危惧されていた。 そこで国鉄(製造時は運輸省)の蒸気機関車としては初の重油専燃機として開発されることとなった。 完成後、福島~米沢間の専用機として投入され、排煙が少ないことから乗客からは好評であった。 また、石炭を使用する蒸機に比べ圧倒的に楽な乗務、かつ余裕のある出力で乗務員からの評価も高く、 各鉄道管理局や乗務員区からの見学者も多く訪れ、後の重油併燃改造機の登場に一役買った。 投入から1年後には板谷峠の電化工事が完了し敦賀へ転出、北陸本線の中ノ郷~敦賀~今庄間で補機として使用された。 1957年、近江塩津経由の新線が開業したため再度転出、瀬野機関区にて瀬野~八本松間の補機として運用された。 この際、走行中補機解放を行うため対応改造を行っている。 1962年、同区間の電化完成により三度余剰となる。前述の通り性能には定評のあった同機であるが、 新製から15年がたち戦時規格による部品・車体の経年劣化による故障が発生するようになっていた。 少数機ゆえに予備部品も確保しづらく、さらに全国的に蒸気機関車は縮小傾向で余剰が発生していることから 保留車を経て1963年に全車廃車となった。 その特殊性ゆえ電化に追われ各地を転々とした同機であるが、廃車がちょうど鉄道90周年事業の時期であり、 また当機が国鉄最後の新製蒸機であったことから解体を惜しむ声が上がり、製造された5機全てが静態保存されている。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch