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車体塗色
60系電車の横須賀線向けに登場した車両は、横須賀線に投入された80系電車と同じ、
窓周りをクリーム2号、幕板と腰板を青2号の塗り分けられた横須賀色(スカ色)で登場、
すぐに東海道線用の窓周りを黄かん色、幕板と腰板を青20号に塗り分けた「湘南色」でも登場、
先頭車の塗り分けも80系電車と同じ「金太郎塗」で塗り分けられたが、製造年によって、
多少の違いが有り、アールの角度がキツイのと、そうで無いのとで分かれていた。
なお1964年(昭和39年)以降、東海道線東京口で運用されていた車輌も、多線に転出後は、
多くがスカ色に変更されたのが多く、廃車まで湘南色で運用されたのは極僅かだった。
横須賀線での運用
1952年(昭和27年)2月に窓周りをクリーム2号、幕板と腰板を青2号に塗り分けたモハ60形が6両、
モハ61形が6両、クハ66形が4両、サハ67形が8両の合計24両が横須賀線用として固定12両編成2本で、
田町電車区へ配備され、同年中に12両編成6本を配備、それまで横須賀線の主役であった32系電車の、
置き換えを開始、60系電車は戦後横須賀線の主力となり、輸送力の増強に寄与、60系電車の増備に伴って、
横須賀線のダイヤと設備面も全面整備され、同年9月から東京-大船間の東海道線共用路線を分離、
品川-横浜間は品鶴貨物線を通り、横浜駅ホームの2面4線の増設、終日15分ヘッドを基準ダイヤ設定、
東京-横須賀間のホーム長が16両停車可能になったことで、車両面でも基本編成12両に付属編成4両を連結、
最長16連での運転を開始、60系電車の増備とともに、順調に輸送力の強化に努めてきた。
その一方で、横須賀駅-久里浜駅間は輸送需要が格段に落ちることから横須賀駅以南は付属編成4連による、
現行ダイヤにつながる区間列車の運転が開始された。