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>>111に続く平行世界もの
◎国鉄スハ10形客車
1960年 二階建て
○>>8の歴史により日本は朝鮮北部の咸鏡道中部沿岸を韓国からの租借地として日本が統治する事になり、
この地を任那府と呼び、地方自治制度対象外の官庁直轄地とした。
戦争で壊滅した旧朝鮮総督府鉄道の咸鏡線等の各路線が国鉄によって復興したが、内地との車両共通化で狭軌となった。
元々旧鮮鉄は北米や後の新幹線に準じる標準軌で敷設されたので、韓国への返還と再改軌を想定して
トンネル等の建築限界は本土の在来線に比べ大きく新幹線に近く、それに伴い車両限界は、車高と車幅の最大値は
本土の在来線と同値だが、車両限界の断面はほぼ直方体と余裕がある点で異なった。
これにより戦後の高度経済成長期には逼迫した需要に対する輸送力増強目的に任那府専用の超大型車両が導入された。
その一つが、10系客車に属する二階建客車スハ10形である。
車体は、車端の平屋区画二つと車体中央の台車間に二階建て区画、両者を結ぶ乗降デッキ区画二つから成る。
最大の特徴は、独自の車両限界断面に沿って車体の二階建て区画の二階から一階までの車体側面が垂直となっている。
一方、本土だと二階と一階の側面を屈折せざるを得なくなり、居住性も悪く、当時の技術では製造費が馬鹿高くなる。
積載重量をス級に収める為に徹底的に軽量化され、その一環として極寒地なのに二重窓を採用せずユニット窓にした。
仮に冷房も搭載していたならばマハ10になっていた。乗降デッキと各階を結ぶ階段は直線状。
台車や接客設備等のその他の仕様はナハ11形を踏襲。
就役後、輸送力増強に貢献したが、黄害という欠点を露呈させた。
便所使用知らせ燈がつくと、一階では「うんこが降ってくるぞ!早く窓を閉めろ!」、「アイゴー」と乗客パニック。
車端設置の便所が垂れ流しだったので糞尿が車内の一階に直撃するのであった。
しかも保温性が悪く、厳冬期は寒かった。
内地からの旅行客には珍しく、乗ってみたい車両だが、毎日利用する地元民にとっては不人気な車両であった。
1950年代から60年代初頭に設計された車両形式は、腐蝕に対し薄過ぎる鋼板の使用等の徹底した軽量化が裏目に出て
寿命が短かった。スハ10も老朽化激しくなり、国鉄末期の1986年までに全廃された。