12/03/10 04:35:28.33 fHOE437uP
>>351
> 「東京」も京都視点の地名だね。歴史的で由緒ある地名である「江戸」を
> 極めて政治的な理由で変えたんだから。
市名としての「 上越 」は71年の2市合併時に高田市と直江津市の協議によって付されたものだが、
「 東京 」は明治元年の詔書による改称。
⇒ 「上越市」は住民投票をやった訳ではないにせよ地元が決めた訳だが、
「東京」は(形の上では)明治天皇によるトップダウン。
⇒ つまり、上越市は『 自ら 』他人( 京都 )視点の名称を自分達の自治体名とした
⇒ 江戸を東京と改称する詔書の時点でも今現在でも明確に『 東京を首都 』と定めた直接的な法令は存在せず、
いわば状況として『 首都は東京である状態 』にあるが( 東京=首都の根拠として間接的な周辺法等を挙げる人もいるだろうが )
先述の明治元年の詔書の時点では、当然今よりも京都に相応の比重があり、何より詔書では『 遷都 』を宣言している訳ではないので
京都も『 都 』であり、新都・東京とを区別する必要があった( 先述の由により、形式上は今もその理由は崩れない )。
「上越」はどう考えても京都( 他人 )視点の意味しかないが、
「東京」は江戸開幕以来の実質的首都であり、明治元年の詔書以降は天皇の執務地としての「意味」がある。
「自分たちで」「他人視点の」地域名を「1971年にもなってから」付けてしまった上越と、
トップダウンで、端から( そしてそれ以前(江戸開幕)からの )意味を与えられていた東京とでは話が全く違う。