12/02/19 23:47:50.09 Zi8HtnNK0
奈良側の食料援助には本当に助かりました。
東大阪で物を買うためには、朝8時には行列に並ばなければなりません。
主婦は子どもたちの牛乳を買うために並びますが、
8時15分には全て売り切れてしまうのです。
今日は私も牛乳を飲むことが出来ました。
オレンジやチェリーを見たのも随分久しぶりでした。
私が最後にヨーグルトを食べたのは、もう半年も前のことです。
レバーに至っては、8年間、一度も食べてないのです。
―東大阪主婦の証言より
奈良にはいろんな自由がありました。
東大阪にはない自由です。
奈良は行きたいところへはどこにでも行けたし、
考えることを自由に口に出せました。
最後のチャンスでした。
今日逃げなければ、一生ダメだと思ったんです。
私は何も持たず、命の危険さえ顧みず、
自由に向かって走り出していました。
―奈良側への脱出者の回想より
「東大阪のヤンキーがいつ攻撃してくるのか、とても心配でした。
だから、自分たちの役割は平和のための救済者だと確信していました。
生駒山の向うから酷い言葉で罵る東大阪のヤンキーを見ると、
それは正に『階級の敵』という言葉がぴったりでした。
彼らが汚い手足で、我々の清潔な街に来ることは、
何としてでも阻止せねばなりませんでした。」
―生駒山国境警備隊員の回想より