12/01/23 00:00:25.66 v7MNvV810
>>244
まあこの言い分は,北陸新幹線の計画より前に,ほくほく線が建設され
ていたときだけ成り立ちますな。そんなこと聞いてないよと。
で,事実は真逆で,ほくほく線が第三セクターで建設再開されたのは,
北陸新幹線の計画が国により決定された後なんですよ。
北陸新幹線の整備計画決定は1972年。このとき,当時のほくほく線である
国鉄北越北線計画は, 黒字経営の見通しが立たないために,国鉄再建法で
建設が凍結されていました。今から考えれば当然の,賢明な判断でした。
にもかかわらず,通過する特急を導入すれば黒字経営ができるとして,
第三セクターが設立され,工事が再開されたのは1985年。
北陸新幹線が富山・金沢までは開通しないという,彼らに都合のよい
見通しが前提となっていました。
この需要予測は,国でも当時の国鉄でもなく,新潟県と周辺自治体が
母体となる三セクが行ったことが重大なポイントでしょう。
国鉄はこの路線を断念したたのですから。国の高速鉄道整備計画は,
当時から一貫しているんです。北越北線と北陸新幹線は両立しないと。
約3年後に,北陸新幹線が金沢まで延伸されると,直通特急がなくなり,
需要予測が大幅に下方修正されるわけですが,それは,北陸新幹線など
建設されないと,高を括った三セクの株主と経営者の自己責任というこ
とです。北陸新幹線の建設計画は,たびたび遅延したものの,確実に進み,
どこかで止まったわけではなかった。いつかこうなることは,容易にわか
っていたはずですね。
経営見通しの前提が崩れた責任は,勝手に都合のよい見通しをたてた
株主・経営者にあるのであって,その見通しが永久に続かなかった
からといって,それを外部要因のせいにするのは,筋違いもいいとこ
ろです。