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札幌市交通局 麦形(麦1~麦3)
昭和21年、占領軍がキャンプクロフォード(現陸上自衛隊真駒内駐屯地)に進駐した。
国鉄との連絡輸送は定鉄線を利用したが、市内への交通が不便とのことで、GHQからの命令により
札幌市交通局は石山通沿いに市電を建設させられた。
その際、駐屯地で大量に消費されるビールの輸送のために作られたのが、本形式である。
外観は、散水車のようなタンク車となり、札幌麦酒苗穂工場で積み込まれ、駐屯地内にあるビールタンクまで
大量一括輸送する形態をとった。
昭和25年からキャンプクロフォードの返還が始まり、米軍用のビール輸送は減っていったが、昭和30年代に入る頃になると
高度経済成長のため、すすきのの日本人向けの歓楽街の活気がよみがえってきたためビール特に生ビールの需要が大幅に
増えていった。
そのため、すすきの飲食店組合は、小口のビールサーバーを各店が個別に備えていくより、地区で集中して生ビールを供給する
ほうが有利ではないかと考え、南4西6(現ジャンボ2000)地下に、生ビールタンクを設置し、米軍撤退により使われなくなっていた
標記ビールタンク車を使用しての、生ビール搬入が開始された。
当時、生ビールは全国的には普及しておらず、「工場のビアホールのビールはうまい」程度の認識しかなされていない中、工場直送の
生ビールを普通に飲める店がたくさんあることで、台頭してきた「札チョン族」や道外観光客から好評得るとともに、世界的にも珍しい
ビール輸送電車の姿もあいまって、全国的にも有名になった。
その後、ビール消費量が増大したため地下パイプライン化され、市電によるビール輸送は昭和43年に廃止となり、特殊用途だった同形式は
同時に用途廃止となった。
しかしながら、ビール市電は世界的に有名となり観光資源として活用できると考えた札幌市は、本来の用途ではなくイベント用として同車を
活用することを考え、タンク側面下にサーバのような蛇口を取りつけ、更に大通公園内への引き込み線を新設し、ビアガーデン開催時に
電車を乗り入れて、巨大なビールサーバとして使用するようになった。
現在でも、夏の風物詩として、3両の麦形電車が大通公園でがんばってる姿はテレビなどでもご覧になった方は多いはずである。