11/12/11 16:57:53.57 o2NzGHTH0
JR西日本 321系1000番台
大阪環状線に残っている103系と201系(一部)を置き換えるために登場
ドアがワイドドア車となっている
パンタグラフは、シングルアームパンタとなっている
1パンタだが、2パンタ用に台座がある
環状線に合わした8両編成で登場
方向幕は、関空・紀州路快速にも対応したものも含まれている
754:名無し野電車区
11/12/11 19:52:37.76 RE2H1+SD0
サロ185形500番台
国鉄末期に投入された特急「踊り子」用のグリーン車。
キロ182形500番台をベースとしたハイデッカー車である。
基本編成に1両ずつ組みこまれた。
755:名無し野電車区
11/12/12 01:02:59.07 bAN3/XN90
伊豆急行9000系
JR東日本の東北縦貫線開業に伴い、関連各線のダイヤは大幅に変更になったが、
ダイヤ混乱の際のリスクを軽減するほか、先日の大震災以来、節電の要請が強かったこともあって、
北関東方面は、籠原・小金井・土浦でそれぞれ一部乗り換えとなり、それ以遠はローカル用車両が
充当される体制に変更された。
東海道線でも、これに準じたダイヤ体制が検討されたが、東海道線西部よりつながるローカル区間は、
ご存知のとおり東海エリアであるため、ダイヤ調整や乗務員研修などの手間をJR東海が渋る状況であった。
東海道線の付属編成で西部の折返し運転をするのも、それだけではダイヤの都合上難しかった。
そこで、御殿場線や熱海以西は東日本からの片乗り入れとし、小田原折り返しに関しては、
伊豆急および親会社の東急に打診の上、伊豆急車の一部を小田原まで乗り入れることとし、
そこで不足する分を編成短縮で余剰となった9000系中間車を先頭車化の上譲渡した。
(当初は8500系が譲渡される予定であったが、インドネシアからの強いオファーにより、同国への譲渡と
なったため、代わりに9000系が充当された)
改造内容は、先頭車化は伊賀鉄道向け1000系、その他アコモ改良は8000系に準じているが、
8000系と併結できるよう、読み替え装置が設置された。
756:名無し野電車区
11/12/13 05:54:56.00 dCB0nxc6O
国鉄EF19型電気機関車
信越線の横川~軽井沢の碓氷峠用に投入されたアプト式初のF型機で、
昭和28年に作られた最後のアプト式機となった。
基本的にはEF15型を少し小さくした形でデッキは設けていない。
初めて搭載された電磁式吸着ブレーキ等は後にEF63型がベールを脱ぐ際にフィードバックされた。
既に粘着式へ移行する時期に設計されていたため、ED41型の取り替え等による
10両で製造は打ち切られた。
旅客用(電車や気動車も含む)の使用を考えていない貨物列車専用機として使われた。
基本的連結方法はEF19型のみの場合は前本務機に後補機2両の3重連
ED42型と併用する場合は前本務機がED42で後補機2両EF19型が2両の3重連で牽引した。
ED42型の1.5倍の重量の貨物列車の牽引が可能だったが、既に粘着式へ
移行する時期にあたったためにED42型と同重量レベルに抑えられて最後まで
能力を発揮出来なかった。
EF19型を1.4m延長して蒸気暖房を取り付けた旅客牽引用のEF59型も計画されたが
既に粘着式が具体化され始めていた時期にあたったために計画のみで終わった。
(EF59は後にセノハチ用として活かされることになる)
横軽が粘着式となった後の昭和46年までに3両を残して廃車された。
残った3両は1号機は大宮工場にモスボール 5号機が横川おぎのやのドライブインに静態保存され、
7号機は高崎に保存されていた。
碓氷峠鉄道文化むら開館時に5号機が屋外展示されることになり、高崎にあった
7号機がおぎのやドライブインに移っている。
1号機は鉄道博物館開館時に展示用となっている。
なお碓氷峠鉄道文化むらのアプト式のモニュメントには6号機のピニオン部を
ラックレールに噛み合わせた形で展示されている。
757:名無し野電車区
11/12/13 09:30:12.05 9nsa/Dpk0
>>753
3扉でワイドドアだったらホームドア対策で導入してもよいと思われる。
但しその場合は225系になる。