11/12/10 12:04:19.52 n+hjlHF70
JR西日本 321系900番台
京都線・神戸線・宝塚線・東西線等にワイドドア車を投入したらどうなるかを実験する
ついでに205系も置き換えるため4本登場
編成は7両編成
ドア位置は、変わらず 北新地のホームドアに対応した幅になる
751:名無し野電車区
11/12/10 15:43:18.14 n+hjlHF70
各社 モンハンラッピング車
モンスターハンターのラッピングを行う
行う車両の例
JR西日本 201系
JR東日本 E231系
名鉄2000系
大阪市交通局新20系
東武100系
等
752:anorak?
11/12/10 17:06:37.69 vr4/+1hf0
>>349 >>351 >>748に続く平行世界もの
◎国鉄425系交直流近郊形電車
1986年 クモハ425(Mc) クハ424(T'ac)
○1970年代後半、福知山線と伯備線と共に山陰本線の福知山・知井宮(現・西出雲)区間の電化が計画された。
豊岡・鳥取区間は海岸沿いで線形が悪く電化に難しい狭小トンネルが多く存在し、余部鉄橋などで強風による運行障害が
目立つので、従来線とは別に内陸側に湯村温泉等を経由する線形の良い電化新線を建設し、その開業後は、
長崎本線の喜々津・浦上区間や予讃線と内子線の関係の様に新線と旧線が両立する、
一種の在来線の高速バイパス線のモデルケースとした。
バイパスなので当新線の設置駅は湯村温泉等少なく駅間距離が長く、長大トンネルが連続する単線。
福知山・城崎間と伯耆大山・知井宮間は直流電化だが、費用対効果の関係上、城崎・鳥取間の旧線は非電化のまま、
豊岡・鳥取間の新線と鳥取・伯耆大山間は当時の技術では敷設と維持費が安く済む交流20KV60Hzとなった。
1986年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正で先述の新線開業も含む当電化計画が完成した。
新大阪・豊岡・鳥取・米子・出雲市区間の485系電車特急が運行開始。
以上の山陰線交流区間のローカル用にと同年に新造投入されたのが、425系である。
本形式は、破綻寸前で分割民営化される国鉄の台所事情を反映した仕様となり、同時期登場の各車両交雑の交直流車
と言うべき存在である。
車体は、117系100番台と同様の防錆強化の鋼製、先頭形状と車体断面が121系と同じで裾絞りのない箱形、117・213系と
類似の両開き二扉の側面、乗降扉は低いホーム対応のステップ付き、腐食防止の為戸袋窓無し、二段窓。
走行系は、抵抗制御で勾配抑速ブレーキ、1M方式を採用するがMcに全て集約出来ず、781系の様にT'acにパンタグラフと
共に主変圧器や主整流器など交流区間の走行に必要な機器を集約設置したMTユニット方式を採用し、McT'acが基本編成。
台車は、積雪地域なので安いが積雪時に乗り心地が悪化するコイルバネではなくボルスタレス。
接客設備は、417系と同じ固定セミクロスシート、半自動ドア、T'acにトイレ。
豊岡・鳥取・伯耆大山の交流区間を含む福知山・知井宮区間のローカル運用に就役。
1987年春にJR西日本に承継され、後年、ワンマン運転改造され、現役。
753:名無し野電車区
11/12/11 16:57:53.57 o2NzGHTH0
JR西日本 321系1000番台
大阪環状線に残っている103系と201系(一部)を置き換えるために登場
ドアがワイドドア車となっている
パンタグラフは、シングルアームパンタとなっている
1パンタだが、2パンタ用に台座がある
環状線に合わした8両編成で登場
方向幕は、関空・紀州路快速にも対応したものも含まれている
754:名無し野電車区
11/12/11 19:52:37.76 RE2H1+SD0
サロ185形500番台
国鉄末期に投入された特急「踊り子」用のグリーン車。
キロ182形500番台をベースとしたハイデッカー車である。
基本編成に1両ずつ組みこまれた。
755:名無し野電車区
11/12/12 01:02:59.07 bAN3/XN90
伊豆急行9000系
JR東日本の東北縦貫線開業に伴い、関連各線のダイヤは大幅に変更になったが、
ダイヤ混乱の際のリスクを軽減するほか、先日の大震災以来、節電の要請が強かったこともあって、
北関東方面は、籠原・小金井・土浦でそれぞれ一部乗り換えとなり、それ以遠はローカル用車両が
充当される体制に変更された。
東海道線でも、これに準じたダイヤ体制が検討されたが、東海道線西部よりつながるローカル区間は、
ご存知のとおり東海エリアであるため、ダイヤ調整や乗務員研修などの手間をJR東海が渋る状況であった。
東海道線の付属編成で西部の折返し運転をするのも、それだけではダイヤの都合上難しかった。
そこで、御殿場線や熱海以西は東日本からの片乗り入れとし、小田原折り返しに関しては、
伊豆急および親会社の東急に打診の上、伊豆急車の一部を小田原まで乗り入れることとし、
そこで不足する分を編成短縮で余剰となった9000系中間車を先頭車化の上譲渡した。
(当初は8500系が譲渡される予定であったが、インドネシアからの強いオファーにより、同国への譲渡と
なったため、代わりに9000系が充当された)
改造内容は、先頭車化は伊賀鉄道向け1000系、その他アコモ改良は8000系に準じているが、
8000系と併結できるよう、読み替え装置が設置された。
756:名無し野電車区
11/12/13 05:54:56.00 dCB0nxc6O
国鉄EF19型電気機関車
信越線の横川~軽井沢の碓氷峠用に投入されたアプト式初のF型機で、
昭和28年に作られた最後のアプト式機となった。
基本的にはEF15型を少し小さくした形でデッキは設けていない。
初めて搭載された電磁式吸着ブレーキ等は後にEF63型がベールを脱ぐ際にフィードバックされた。
既に粘着式へ移行する時期に設計されていたため、ED41型の取り替え等による
10両で製造は打ち切られた。
旅客用(電車や気動車も含む)の使用を考えていない貨物列車専用機として使われた。
基本的連結方法はEF19型のみの場合は前本務機に後補機2両の3重連
ED42型と併用する場合は前本務機がED42で後補機2両EF19型が2両の3重連で牽引した。
ED42型の1.5倍の重量の貨物列車の牽引が可能だったが、既に粘着式へ
移行する時期にあたったためにED42型と同重量レベルに抑えられて最後まで
能力を発揮出来なかった。
EF19型を1.4m延長して蒸気暖房を取り付けた旅客牽引用のEF59型も計画されたが
既に粘着式が具体化され始めていた時期にあたったために計画のみで終わった。
(EF59は後にセノハチ用として活かされることになる)
横軽が粘着式となった後の昭和46年までに3両を残して廃車された。
残った3両は1号機は大宮工場にモスボール 5号機が横川おぎのやのドライブインに静態保存され、
7号機は高崎に保存されていた。
碓氷峠鉄道文化むら開館時に5号機が屋外展示されることになり、高崎にあった
7号機がおぎのやドライブインに移っている。
1号機は鉄道博物館開館時に展示用となっている。
なお碓氷峠鉄道文化むらのアプト式のモニュメントには6号機のピニオン部を
ラックレールに噛み合わせた形で展示されている。
757:名無し野電車区
11/12/13 09:30:12.05 9nsa/Dpk0
>>753
3扉でワイドドアだったらホームドア対策で導入してもよいと思われる。
但しその場合は225系になる。