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鉄道省 スハフ38
昭和18年、戦局の悪化から優等車輛、特に展望車などはぜいたくだとして通勤輸送用の3等車に
改造されることとなり、公式図面まで用意される事態となっていた。
ときの大阪局管内には「つばめ」で使用していたスイテ38があり、この改造の該当となっていたが
歴史的車輛であるこの展望車をなんとか温存したいという思いがあり、なかなか改造しないでいたが
さすがにそろそろ・・・ということになり、ある奇策にうって出た結果が、同形式であった。
「中央の作った図面は生ぬるいっ!資材欠乏のおりに展望デッキを密閉してドアを付けるなど言語道断!」
といい、展望デッキはそのままの形で残された。
「短距離通勤に窓など不要!兵隊さんたちは外地で風雨に耐えているのです!」といって窓ガラスは全部撤去し
倉庫の奥深くに仕舞われた。そして、窓は全部木製のよろい窓をはめこみ、換気ができるようにした。
「便所など短距離通勤には不要!」といって、便所は閉鎖された。
「短距離通勤に椅子など贅沢だ!」といって、車内のソファを撤去したあとはそのままがらんどうの状態にし、車内装飾や
じゅうたんはすべて撤去し、車内灯のグローブも当然のことながら撤去した。
こうして、原形を保ち貴重な資材や部品を別保管にし、戦争末期まで近郊通勤列車に連結して運行されたが、「よく故障して」
しまうので、実は実際に走行したのは月に1回程度であった・・・
戦争が終わり、進駐軍が優等車輛を専用列車用として漁る時期が過ぎ、そろそろ日本人用の特急列車を・・・となってきた昭和23年に
倉庫の奥から取り外した資材などを取り出し、復旧工事が行われた。
一部、ソファなどが戦後の混乱で紛失してしまっていた以外は、良好な状態で残っており、当時物不足で展望室用の大型窓が手に
入らない時代であっても、ただちに復旧できた。
また、月1回程度走行させ、要部への注油などをこまめにしていたので固着などもなく走行装置も完璧に保たれており
いつでも長距離高速運転が可能な状態でもあった。
そして、便所を閉鎖していたおかげで、しんちゅう製の蛇口も盗難に合わないで戦前の豪華なデザインそのままであった。
戦後復興のシンボルとなった特急「へいわ」1番列車の最後部に、誇らしげに連結された。