架空の車両形式・番台スレ 18次車at RAIL
架空の車両形式・番台スレ 18次車 - 暇つぶし2ch720:名無し野電車区
11/12/01 22:33:06.37 BaOSbre+0
キロ28形3000番台
国鉄でキロ58を1エンジン化改造したもの。
エンジンを1基取り外し、4VKを設置した。
T台車はDT22Tである。
屋根上に水タンクがあるのが特徴。

721:名無し野電車区
11/12/01 23:43:44.22 yuEWnm5J0
国鉄 北海道総局 キサハネ25

昭和47年、小樽~帯広間の寝台付き夜行普通列車(のちの からまつ)の体質改善と
車輛運用の効率化(急行狩勝との共通運用化)のために気動車化された際に、乗客の要望に
答える形で製造された、気動車用寝台車

当時最新鋭のオハネ14と同じ外見であるが、普通列車用であることなどを考慮し、乗務員室を
廃止し、そのぶん寝台区画を増やすとともに、便所を1か所、洗面所を2か所にしてちょうど1区画
6名分の寝台定員の増強を図っている。

塗装は急行用気動車と同じ、クリーム色に窓周りが赤となっている。

全部で3両が生産され、好評を博したが、からまつ自体の廃止に伴い運用離脱し昭和60年に保留車のまま
廃車となった。

722:名無し野電車区
11/12/03 01:30:01.96 tfuBMbPq0
東京都電9000形量産仕様
「6500,7500はそれぞれ前後の6000,7000,8000の中間デザインだったのだから8500が8000と9000の中間デザインにならないとおかしい」
と言う某鉄道ライターの意見を受けてデザインを変更して量産したもの。
8800を極端に丸みを帯びさせたデザインになっており、並べると(8000+9000)/2=8500といえなくもないデザインになっている。


723:名無し野電車区
11/12/03 13:16:22.83 iD21cHOe0
鉄道省 スハフ38

昭和18年、戦局の悪化から優等車輛、特に展望車などはぜいたくだとして通勤輸送用の3等車に
改造されることとなり、公式図面まで用意される事態となっていた。

ときの大阪局管内には「つばめ」で使用していたスイテ38があり、この改造の該当となっていたが
歴史的車輛であるこの展望車をなんとか温存したいという思いがあり、なかなか改造しないでいたが
さすがにそろそろ・・・ということになり、ある奇策にうって出た結果が、同形式であった。

「中央の作った図面は生ぬるいっ!資材欠乏のおりに展望デッキを密閉してドアを付けるなど言語道断!」
といい、展望デッキはそのままの形で残された。
「短距離通勤に窓など不要!兵隊さんたちは外地で風雨に耐えているのです!」といって窓ガラスは全部撤去し
倉庫の奥深くに仕舞われた。そして、窓は全部木製のよろい窓をはめこみ、換気ができるようにした。
「便所など短距離通勤には不要!」といって、便所は閉鎖された。
「短距離通勤に椅子など贅沢だ!」といって、車内のソファを撤去したあとはそのままがらんどうの状態にし、車内装飾や
じゅうたんはすべて撤去し、車内灯のグローブも当然のことながら撤去した。

こうして、原形を保ち貴重な資材や部品を別保管にし、戦争末期まで近郊通勤列車に連結して運行されたが、「よく故障して」
しまうので、実は実際に走行したのは月に1回程度であった・・・

戦争が終わり、進駐軍が優等車輛を専用列車用として漁る時期が過ぎ、そろそろ日本人用の特急列車を・・・となってきた昭和23年に
倉庫の奥から取り外した資材などを取り出し、復旧工事が行われた。
一部、ソファなどが戦後の混乱で紛失してしまっていた以外は、良好な状態で残っており、当時物不足で展望室用の大型窓が手に
入らない時代であっても、ただちに復旧できた。
また、月1回程度走行させ、要部への注油などをこまめにしていたので固着などもなく走行装置も完璧に保たれており
いつでも長距離高速運転が可能な状態でもあった。
そして、便所を閉鎖していたおかげで、しんちゅう製の蛇口も盗難に合わないで戦前の豪華なデザインそのままであった。

戦後復興のシンボルとなった特急「へいわ」1番列車の最後部に、誇らしげに連結された。

724:名無し野電車区
11/12/03 16:24:55.55 fD5OOjAj0
JR西日本 16系客車

JR西日本はトワイライト用客車の老朽化とともに、イ
ベント用客車の老朽化にも悩まされていた。そして、つ
いに少数ながら新造を決定した。

スハフ16 1~3 自車込み6両給電の電源装置搭載緩急車。車内は転換クロスで、側見付は4枚ユニットの連続窓。
オハ16  1~12 中間車。車内構成は同じく転換クロス。
オハフ17 1~3 電源装置を持たない緩急車。

上記の基本番台以外に、外装をレトロ風にした20番台がやまぐち号用に6連2本。
きたぐに置き換え用及び、日本海格下げ用に寝台車を構成に含めた100番台がそれぞれ製造された。

オロ16-100  きたぐに組込用のグリーン車。独立3列シートを採用
スハネ16-100 3段寝台を採用のB寝台車。
オロネ16-100 2段寝台を採用のA寝台車。

車両置き換えに伴い日本海は急行化され値下げ。このため、多客時には最盛期の混雑が復活し、日本海51-52号が
設定されるようになった。また、寝台料金も独自に値下げされている。

725:anorak?
11/12/03 18:14:28.93 BTTyS1kV0
>>490に続く平行世界もの
◎国鉄003系電車
1980年― 標準軌 第三軌条
○高度経済成長期からバブル崩壊まで大阪都市圏の通勤事情は年々悪化し大阪市営地下鉄の市外への延伸と
既存路線への直通を望む世論が益々強まったが、大阪市は、万博の1970年までに市営モンロー主義に依拠し
地下鉄を濫造して財政を悪化させたので、対応困難。
そこで、四つ橋線の堺市延伸は、通勤五方面作戦で実績ある国鉄が代わって担う事になった。
それは、四つ橋線住之江公園駅から堺市内へ南海の堺駅と堺東駅を順に経由し阪和線堺市駅に至り
そこから阪和線の複々線として鳳まで至る新線で以て阪和線の混雑緩和用バイパスを実現し、
また阪和貨物線を杉本町から阪和線に沿って堺市駅に延伸し先の新線と接続させ堺泉北港への貨物輸送にも使う。
よって、当新線は、標準軌第三軌条の四つ橋線直通電車と、狭軌架線の国鉄標準列車共用の為、三線軌条であり、
建築限界は両対応、勾配は貨物列車に対応して緩く、複線、区間大半は地下線。
以上の四つ橋線直通用にと003系が新造された。
本形式の車両形式称号は、標準軌と第三軌条という異種規格なので三桁目を0に。
車両の意匠について、大阪市交の同時期の新車10系に比べて製造費低減を打ち出したものとなり、それは、車体は鋼製だが
同時期の117/185系と同じ40年使用前提の長寿命設計、制御装置は既存の201系や後の203系採用の電機子チョッパではなく、
国鉄としては異例の量産車に界磁チョッパを本格採用、コイルバネ台車、車内床置型冷房などであり、
その他の仕様は、寸法は車長19m弱等の大阪市交第三軌条規格、全電動車台車に集電靴、先頭前面は後の105系新造車等にも
多く踏襲されるバンダ目、戸袋窓無しの両開き四扉など。
車種は、クハ003/002(Tc/T'c)、モハ003/002(M/M')の四種。
1981年、新線は堺線として開業し、003系は4M2Tの六両編成で西梅田~鳳の四つ橋線直通列車に就役開始。
当路線は三線軌条の上に第三軌条と架線併設で地下鉄と貨物が共存する趣味的に超面白い存在。
87年に本形式と当路線はJR西日本に承継。
JR西が株式上場後コストカットと駅ナカ商売に注力してから、異種規格で保守コストが高く、自社の重要ターミナル
直行しない当路線と本形式は冷遇される様になって近年ガムテープで補修が目立つ。

726:名無し野電車区
11/12/03 23:33:44.42 iD21cHOe0
JR貨物 EF510-1000

埼玉東部を走る埼玉高速鉄道とJR東日本、そしてJR貨物の思惑が一致し、池袋~赤羽~川口元郷間と
浦和美園~岩槻~蓮田間に新線を建設し、東北本線のバイパス区間が完成した。

池袋~赤羽~川口元郷~東川口間が地下区間となるため、AA基準とATO運転対応のために製造された
機関車である。

山手貨物線から分岐し、池袋駅手前から地下に入り、そのままちょうど埼京線の真下を赤羽まで走り、そこから
埼玉高速鉄道区間に入る。川口元郷で既存の路線に合流し、東川口から地上に出て浦和美園から先の地上区間を
東北自動車道に沿った形で岩槻を経由し蓮田駅手前で東北本線に合流する運行形態をとっている。

特記すべきは、浦和美園から蓮田間はJR貨物の路線であることであろう。
駅員はすべてJR貨物の社員であるが、運行はJR東日本、埼玉高速鉄道、東京メトロそして東急という、非常に珍しい
形態なため、マニアだけでなく一般にも広く知られていることは周知のことであろう。

727:名無し野電車区
11/12/04 14:43:09.43 9XJSafxW0
415系2500番台
JR九州が製造した415系。
基本的には1500番台と変わらないが、JR東日本車との番号重複を回避するため2500番台となった。
前面にJRマークがあるのが特徴。
1989年に811系が登場したため5編成しか製造されなかった。

728:名無し野電車区
11/12/04 19:42:47.77 OrX7rRUJ0
>>723
野暮なツッコミだけど、戦前の燕に使われていた展望車はスイテ47もしくはスイテ48。

729:名無し野電車区
11/12/04 20:38:11.76 jj0hpHHj0
581/583系改造車「踊り子」
余剰となっていた581/583系を主に伊豆方面へのお座敷列車として改造したもの。
寝台設備をすべて撤去し、全座席車となった。
客室内は大柄な車体を活かしたハイデッカー構造、大型窓として眺望を楽しむことができる。
また、下り方先頭車をグリーン車(1+2列)としたほか、サシ581形をビュッフェに改造して連結している。


730:炬燵熊猫@さいたま
11/12/04 20:41:46.28 mm0QGj650
キハE257系 キハE257+キハE256

JR東日本が所有する、小海線直通用ディーゼル特急車両である。
電車特急E257系と連結して電化区間を走行するため、協調運転装置と500ps級のディーゼル機関を搭載する。

キハE257(1号車) クハE257と同等の貫通路を持つ片運転台車両で、松本寄りにトイレと洗面所を持つ。定員52名
キハE256(2号車) クハE257と同等の貫通路を持つ片運転台車両で、定員は64名
いずれも普通車のみ。
外観は、E257系特急電車とそろえてあるが、小海線内の低いホームに対応するため、客用扉にはステップがある。


731:名無し野電車区
11/12/04 22:21:26.06 Z3oVg+VAO
東武鉄道1770系
1720系DRCの改良型で、昭和49年に6両編成5本が作られた。
製造の時節柄車体の基本構造は当時京成が製造していたスカイライナー(AE形)
となったが、制御系は界磁チョッパではなく、日光線の急勾配などを考慮して
6000系を基本とした抵抗制御式である。
台車 CP MGなどを6000系と共通化することで合理化を図った。
不定期の臨時特急などに用いるため、車内販売準備室はあるものの、
1720系にあるビュッフェは始めから設けていない。
前面の愛称板も幕式となっている。
当初は本線に2本以外は土休日の臨時特急用として東上線に配備される
予定だったが、東上線の特急需要が一般車の8000系などで事足りた関係で、
全て本線配置となった。
100系スペーシアが投入されて1720系が引退後も使われて臨時特急用だけでなく、
1800系が検査時にはりょうもうの代走にも使われていた。
(りょうもうの幕も用意されていた)
その後は修学旅行等の波動用及び日光線の臨時特急用として使われたが
車両更新工事を機に東上線にTJライナーを新設した際にこの車両を
TJライナー専用車に改装されることになった。
6両編成5本からクハ1770形等の中間化改造やモハの電装解除化等により10両編成
3本に更新 組成し直されて本線から東上線へ移籍した。形式も370系に変更された。
元特急列車使用のTJライナーが好評であったために、東武はさらに小泉線などに
使われる予定だった1800系と300系も8両編成に組成して2本投入している。
(この改造により300系は1800系に復元する関係で形式消滅)
しかし1800系改造車の老朽化が否めず、8両編成と言う中途半端さも嫌がれて
50070系が投入されると真っ先に廃車された。
370系も昼間の間合い運用や送り込む際の急行などの運用が出来ない点で
かえって運用難を招いてやはり50070系投入で2012年に引退する予定である。
引退は2012年末とし、370系で行く東武ファンフェスタ号と銘打って
片道のみで川越市~寄居~秩父鉄道線~羽生~東武動物公園~南栗橋の行路で
引退運転が行われた。
なお編成は6両と短縮され、保安装置がない秩父鉄道線内は東上線車両の
入場用牽引車の8500-8600は使わずに秩父鉄道のデキ202型で牽引した。

732:名無し野電車区
11/12/04 23:10:36.82 3Zi2F1ZP0
JR西日本 521系1000番台
2012年3月投入予定の521系の4次車であるが
機器類は521系0番台と共通ながら、車体のみ225系と同一の前面強化タイプとなっている
機器類が521系0番台と共通なのは金沢以東の三セク後に譲渡を見越してコストを削減するためである
このため新形式の523系とはせず521系の番台で区分される
2011年度は10編成20両投入予定(全車金サワ所属)


733:名無し野電車区
11/12/05 01:40:10.23 9Nv35w2w0
>>732
今年度4次車の増備は現実にあるらしいから、これは架空というより予想じゃん
ただ三セク譲渡を考慮してコスト削減なら3次車と同じ顔で出場してくる可能性の方が高いね
三セクを受け入れる各自治体が強化ボディじゃないと譲渡は受け入れないと言っているのなら話は別だが・・・


734:名無し野電車区
11/12/05 06:44:58.47 bZXh7f2d0
>>731
妄想に突っ込んじゃいけないのは解るけど、当時既に1720系に本物の1771Fがあったよ…。
おまけにもし1770系としたところで、3編成作ったらインフレナンバーになるけど…。

俺的には、17100系といきなりインフレしちゃった方がスッキリすると思う(現実の車両と番号もダブらないし)。

735:名無し野電車区
11/12/05 14:31:21.01 rdhvZ9KwO
東武鉄道モハ5750形
5700形の改良型で昭和30年に作られた。
車体がウィンドウシル ヘッダーがなくなった全金属車体となった。
また5700形同様に非貫通運転台のあるモハ5750形+クハ750形のA編成と
貫通式のモハ5780形+クハ780形のB編成があるが、カルダン式は作らなかった。
同年に製造が1700系に移ったためA編成4本とB編成2本の6両編成2本分計12両のみで打ち切られた。
走行系は5700形と同一だが日光線の勾配対応策として回生ブレーキが初めて
取り付けられ、歯車比も多少異なっていたのが特徴。
既に特急から急行へ移行している時期であったことから特急での使用は数年で終わり、
急行用に格下げられた。昭和36年には全貫通式に改造され、さらに昭和40年に
5700形同様にB編成の改番が行われた。
その後は臨時用に使われて5700形引退後も快速「たびじ」や快速急行
「おじか」「だいや」にも使われて回生ブレーキ付きの強みを生かしてなんと
野岩 会津線に入った唯一の57系となったのが記憶に新しい。
しかし末期はパンタグラフが8000系同様の下枠交差式になるなど、美しさは失われていた。
平成5年に引退し、モハ5751+クハ751+モハ5752+クハ752+モハ5754+クハ754以外は解体された。
この6両はしばらく春日部に留置されたが東武希代の特急車両の復活の声が
高かった事から平成10年に廃車になった5000系などの部品を再利用するなどして
奇跡の復活を遂げた。
外観を壊さぬよう家庭用エアコンを利用した冷房も取り付けられて、
臨時用に南栗橋に常駐して懐かしの吊掛けサウンドを轟かせている。
今年の東武ファンフェスタでは船橋から南栗橋まで野田線100周年記念列車を
運転して57系初の野田線に入線して健在ぶりを見せた。
なお昭和58年に5000系の種車になる計画があり、78系でなく57系から
5000系に改造される初のケースになると見られたが改造は見送られている。
なお改造されていた場合は5050系に編入されていた可能性もある。
仮に5050系に編入された場合
5163-5263-5363-5463+5563-5663
(旧5751-751-5752-752+5753-753)
5164-5264-5364-5464+5564-5664
(旧5754-754-5755-755+5756-756)

736:名無し野電車区
11/12/05 23:17:42.35 YYiMrfBn0
JR北海道 キヤ201

2015年、ついにJR北海道は所属する全機関車を廃止又はJR貨物へ譲渡し、機関車を使用する列車はすべて
JR貨物に委託することになった。

その際、運転所内や小規模の牽引機代用として、キハ201をベースに製造したのが、本形式である。
外見はキハ201の両運転台風で、札幌と旭川に2両、苗穂、旭川、釧路、函館に各1両づつ配備された。

一番の特徴は、DE15のラッセルヘッド風のヘッドを連結することにより、ラッセル車代用にすることであろう。
しかしながら、これだけでは重量の関係で空転を起こすため、車内には折りたたみ式の水タンクが設置され
10トンの水を積み込むことにより、除雪可能にしている点である。

冬の宗谷本線で豪快な走りを見せている。

737:名無し野電車区
11/12/06 00:07:51.81 CwW6E9rw0
>>679
211系1000番台は山陽本線の117系の置き換えのためにJR西日本の末期色軍団地域に移っていそう。

>>680
急行型では振り子式にはならなかっただろ。

>>704
後にドアステップと交流機器を取り付け改造(573系?)


738:名無し野電車区
11/12/06 14:33:50.62 biAqsRm+0
>>389>>487>>510>>514>>704
457系2000番台
国鉄が1985年から製造した457系(20m級交直流急行型)の最終形態。
座席が転換クロスシート(シートピッチ910mm)になり台車がDT50/TR235に変更されている。
出入り口はステップ付きで正面は貫通型。台車にはヨータンパが取り付けられている。


739:名無し野電車区
11/12/06 15:10:08.31 biAqsRm+0
>>709
これは463系交流急行型電車。


740:名無し野電車区
11/12/06 22:19:51.61 SA+fNuML0
国鉄 北海道総局 オハ52系

旧型客車の置き換え用に投入された50系51型であったが、増大する札幌圏通勤ラッシュに
2ドアボックスシート車では対応が困難であることが判明したため、50系51型を置き換える目的で
投入された形式

ドア位置を中央寄りに設け、両開きとし、車内は中央部2ボックス以外は全てロングシートとなっている。
酷寒地向けということで、デッキつきである。

のちに721系の登場で、全車JR東日本に譲渡され、仙台近郊で通勤輸送に投入され、701系登場まで
活躍した。

741:名無し野電車区
11/12/06 23:16:43.38 Dwt4hKgG0
738 あぼ~ん
あぼ~ん


739 あぼ~ん
あぼ~ん

742:名無し野電車区
11/12/07 14:28:30.84 7mnS0GUr0
>>741
あぼ~んはこちらのほうだろ。

736 あぼ~ん
あぼ~ん

740 あぼ~ん
あぼ~ん


743:名無し野電車区
11/12/07 14:45:18.14 7mnS0GUr0
>>709
交流急行型電車は車体長が21.3mで、全車両新製冷房車で登場。
ちなみにシートピッチは12系客車やキハ65系気動車と同じ1580mm。


744:名無し野電車区
11/12/08 02:03:14.71 Cv2HKKAH0
サハ204-1000番台
JR西日本がJR東日本に対抗して作った205系1000番台の6ドア車。
外観は基本的には東日本の0番台と変わらないが、ベンチレータが2個しかない。
さらに座席は固定式で収納できず、スタンションポールも設置されていない。

745:名無し野電車区
11/12/09 00:39:24.64 qrusRX6I0
伊予鉄650系
昭和50年に伊予鉄がアルナ工機に発注して製造した初の冷房車。
阪急6000系に準じた車体に600形類似の前面になっている。足回りはWN駆動を採用している。
3両編成2本が導入され、現在も走行している。

746:名無し野電車区
11/12/09 20:12:36.23 IxT03UNhO
東京メトロ 2000系
銀座線の01系を置き換える1000系同様に丸ノ内線に投入される新型車両。
車体や走行系等は1000系に準じているが、前面は500形に準じたものとなり、
塗装は全面赤地白帯にステンレスのサインカーブ入りを継承した。
丸ノ内線もカーブが多いため、操舵式の台車も採用している。
車内も500形の化粧板更新前を踏襲するなど、往年の丸ノ内線を丸々再現した。
丸ノ内線はワンマン運転であるため、それらにも対応する。
02系の置き換えであるが、初期チョッパグループのみが置き換え対象で
増発分を含め11本が中野検車区に配備された。
捻出車両は全てアルゼンチンのブエノスアイレス地下鉄B線へ譲渡される予定。

747:名無し野電車区
11/12/09 20:25:35.94 BEuONznLO
国鉄 スロハフ38

戦後、木造2等車を代替するために、優等車を戦時改造したマハ47形から、スロハ38形と同時に改造したもので、1951・52年に幡生・郡山工場で17両が改造された。
車掌室と手ブレーキ室は3等室側に設け、便所と洗面所は2等室側に設けた。

老朽化した木造ナロ・ナロハに代わって幹線・亜幹線の普通列車で運用されたが、1961年度後半に格下げされ、スハフ38形に改称。1963-67年に廃車されて消滅した。

748:anorak?
11/12/10 11:54:10.93 vr4/+1hf0
>>725に続く平行世界もの
◎東京地下鉄03N系
2006年 井の頭線直通用 ボルスタ付き台車
○2000年、東京圏における鉄軌道整備に関する運輸政策審議会において、地下鉄日比谷線に関して恵比寿から分岐して
京王井の頭線駒場東大前へ至る分岐線の建設、並びに日比谷線と井の頭線との相互直通が答申された。
世間では井の頭線と銀座線との直通を望む声が多いが、規格が違いすぎて無理なので代替として日比谷線との直通に。
東急東横線での日比谷線直通需要は、東京都23区内各地で進められている都市再開発による人の集積地の多様化や
バイパスである目黒線と南北・三田線との直通運転開始及び東横線と副都心線との直通により減少が予想され、
空いた分を井の頭線直通に回せると判断されたのである。
2001年に、日比谷線の虎ノ門駅設置及び恵比寿駅の分岐駅化改造及び井の頭線接続の為の日比谷線分岐線工事、並びに
井の頭線改良工事―直通列車停車駅のホーム延伸(18m車×八両)や信号システム改良や建築限界修正など―が施工開始。
2007年、東京メトロ日比谷線と京王井の頭線との相互直通運転が開始。
井の頭線直通区間は駒場東大・吉祥寺間で、列車種別は快速。
これに備え、東京地下鉄は03系を増備した。
これは8次車となるが、1994年度の7次車から約十年以上経ち、意匠の変更と共に後述の最新の技術を採用した為、
従来の03系とは異質な存在となり、03N系とも呼ばれる。
基本仕様は、日比谷線固有の車体寸法と三扉以外は、05系13次車に準じ、例えば先頭形状は05N系、車体は日立製作所の
A-trainの構体を採用し、また03N系登場直後の10000系の設計思想も共用し、ボルスタレス台車を採用せず、
代わってボルスタ構造のモノリンク式台車に。ボルスタレスからボルスタ在りへの台車の変更に関しては
2000年に起きた日比谷線中目黒脱線衝突事故の教訓だと言われている。4M4Tの八両編成。
2006年度に就役開始し、現在、専ら井の頭線直通運用に充当されている。

749:名無し野電車区
11/12/10 12:01:41.57 n+hjlHF70
JR西日本 225系900番台
ラッシュ時の混雑が激しいところに3ドア・ロングシート車を走らせても問題ないかを確認するために登場
編成は、8連 2本製造される(内1本はワイドドア車)
基本的に225系5000番台や0番台に準ずる性能になっている
最初に大阪環状線に投入される

225系1000番台
大和路線や、阪和線に残る103系を置き換えるために登場
編成は4連と6連
3ドアロングシートとなる

750:名無し野電車区
11/12/10 12:04:19.52 n+hjlHF70
JR西日本 321系900番台
京都線・神戸線・宝塚線・東西線等にワイドドア車を投入したらどうなるかを実験する
ついでに205系も置き換えるため4本登場
編成は7両編成
ドア位置は、変わらず 北新地のホームドアに対応した幅になる

751:名無し野電車区
11/12/10 15:43:18.14 n+hjlHF70
各社 モンハンラッピング車
モンスターハンターのラッピングを行う
行う車両の例 
JR西日本 201系
JR東日本 E231系
名鉄2000系
大阪市交通局新20系
東武100系


752:anorak?
11/12/10 17:06:37.69 vr4/+1hf0
>>349 >>351 >>748に続く平行世界もの
◎国鉄425系交直流近郊形電車
1986年 クモハ425(Mc) クハ424(T'ac)
○1970年代後半、福知山線と伯備線と共に山陰本線の福知山・知井宮(現・西出雲)区間の電化が計画された。
豊岡・鳥取区間は海岸沿いで線形が悪く電化に難しい狭小トンネルが多く存在し、余部鉄橋などで強風による運行障害が
目立つので、従来線とは別に内陸側に湯村温泉等を経由する線形の良い電化新線を建設し、その開業後は、
長崎本線の喜々津・浦上区間や予讃線と内子線の関係の様に新線と旧線が両立する、
一種の在来線の高速バイパス線のモデルケースとした。
バイパスなので当新線の設置駅は湯村温泉等少なく駅間距離が長く、長大トンネルが連続する単線。
福知山・城崎間と伯耆大山・知井宮間は直流電化だが、費用対効果の関係上、城崎・鳥取間の旧線は非電化のまま、
豊岡・鳥取間の新線と鳥取・伯耆大山間は当時の技術では敷設と維持費が安く済む交流20KV60Hzとなった。
1986年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正で先述の新線開業も含む当電化計画が完成した。
新大阪・豊岡・鳥取・米子・出雲市区間の485系電車特急が運行開始。
以上の山陰線交流区間のローカル用にと同年に新造投入されたのが、425系である。
本形式は、破綻寸前で分割民営化される国鉄の台所事情を反映した仕様となり、同時期登場の各車両交雑の交直流車
と言うべき存在である。
車体は、117系100番台と同様の防錆強化の鋼製、先頭形状と車体断面が121系と同じで裾絞りのない箱形、117・213系と
類似の両開き二扉の側面、乗降扉は低いホーム対応のステップ付き、腐食防止の為戸袋窓無し、二段窓。
走行系は、抵抗制御で勾配抑速ブレーキ、1M方式を採用するがMcに全て集約出来ず、781系の様にT'acにパンタグラフと
共に主変圧器や主整流器など交流区間の走行に必要な機器を集約設置したMTユニット方式を採用し、McT'acが基本編成。
台車は、積雪地域なので安いが積雪時に乗り心地が悪化するコイルバネではなくボルスタレス。
接客設備は、417系と同じ固定セミクロスシート、半自動ドア、T'acにトイレ。
豊岡・鳥取・伯耆大山の交流区間を含む福知山・知井宮区間のローカル運用に就役。
1987年春にJR西日本に承継され、後年、ワンマン運転改造され、現役。

753:名無し野電車区
11/12/11 16:57:53.57 o2NzGHTH0
JR西日本 321系1000番台
大阪環状線に残っている103系と201系(一部)を置き換えるために登場
ドアがワイドドア車となっている
パンタグラフは、シングルアームパンタとなっている
1パンタだが、2パンタ用に台座がある
環状線に合わした8両編成で登場
方向幕は、関空・紀州路快速にも対応したものも含まれている

754:名無し野電車区
11/12/11 19:52:37.76 RE2H1+SD0
サロ185形500番台

国鉄末期に投入された特急「踊り子」用のグリーン車。
キロ182形500番台をベースとしたハイデッカー車である。
基本編成に1両ずつ組みこまれた。

755:名無し野電車区
11/12/12 01:02:59.07 bAN3/XN90
伊豆急行9000系

JR東日本の東北縦貫線開業に伴い、関連各線のダイヤは大幅に変更になったが、
ダイヤ混乱の際のリスクを軽減するほか、先日の大震災以来、節電の要請が強かったこともあって、
北関東方面は、籠原・小金井・土浦でそれぞれ一部乗り換えとなり、それ以遠はローカル用車両が
充当される体制に変更された。
東海道線でも、これに準じたダイヤ体制が検討されたが、東海道線西部よりつながるローカル区間は、
ご存知のとおり東海エリアであるため、ダイヤ調整や乗務員研修などの手間をJR東海が渋る状況であった。
東海道線の付属編成で西部の折返し運転をするのも、それだけではダイヤの都合上難しかった。
そこで、御殿場線や熱海以西は東日本からの片乗り入れとし、小田原折り返しに関しては、
伊豆急および親会社の東急に打診の上、伊豆急車の一部を小田原まで乗り入れることとし、
そこで不足する分を編成短縮で余剰となった9000系中間車を先頭車化の上譲渡した。
(当初は8500系が譲渡される予定であったが、インドネシアからの強いオファーにより、同国への譲渡と
なったため、代わりに9000系が充当された)
改造内容は、先頭車化は伊賀鉄道向け1000系、その他アコモ改良は8000系に準じているが、
8000系と併結できるよう、読み替え装置が設置された。


756:名無し野電車区
11/12/13 05:54:56.00 dCB0nxc6O
国鉄EF19型電気機関車
信越線の横川~軽井沢の碓氷峠用に投入されたアプト式初のF型機で、
昭和28年に作られた最後のアプト式機となった。
基本的にはEF15型を少し小さくした形でデッキは設けていない。
初めて搭載された電磁式吸着ブレーキ等は後にEF63型がベールを脱ぐ際にフィードバックされた。
既に粘着式へ移行する時期に設計されていたため、ED41型の取り替え等による
10両で製造は打ち切られた。
旅客用(電車や気動車も含む)の使用を考えていない貨物列車専用機として使われた。
基本的連結方法はEF19型のみの場合は前本務機に後補機2両の3重連
ED42型と併用する場合は前本務機がED42で後補機2両EF19型が2両の3重連で牽引した。
ED42型の1.5倍の重量の貨物列車の牽引が可能だったが、既に粘着式へ
移行する時期にあたったためにED42型と同重量レベルに抑えられて最後まで
能力を発揮出来なかった。
EF19型を1.4m延長して蒸気暖房を取り付けた旅客牽引用のEF59型も計画されたが
既に粘着式が具体化され始めていた時期にあたったために計画のみで終わった。
(EF59は後にセノハチ用として活かされることになる)
横軽が粘着式となった後の昭和46年までに3両を残して廃車された。
残った3両は1号機は大宮工場にモスボール 5号機が横川おぎのやのドライブインに静態保存され、
7号機は高崎に保存されていた。
碓氷峠鉄道文化むら開館時に5号機が屋外展示されることになり、高崎にあった
7号機がおぎのやドライブインに移っている。
1号機は鉄道博物館開館時に展示用となっている。
なお碓氷峠鉄道文化むらのアプト式のモニュメントには6号機のピニオン部を
ラックレールに噛み合わせた形で展示されている。

757:名無し野電車区
11/12/13 09:30:12.05 9nsa/Dpk0
>>753
3扉でワイドドアだったらホームドア対策で導入してもよいと思われる。
但しその場合は225系になる。


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