11/05/05 03:05:19.58 LhAcQrla0
>>52に続く平行世界もの
◎国鉄EF62形1000番台
製造年 1973
○1960年代末期、蒸気機関車全廃を目指す動力近代化計画に基づき関西本線の全線電化が計画されたが、
関~柘植の加太峠区間と島ヶ原~加茂間は明治開業時の狭小断面トンネルが連続し、
直流1.5KVの架空電車線方式でさえも新線建設を必要とし、費用対効果上大きな障害となった。
そこで当該区間を直流600V第三軌条方式で克服する事になった。
建築限界に起因するアプト式時代の碓氷峠での第三軌条の経験と、ロンドン郊外南部の地上路線網の事例が決め手に。
架線と第三軌条両対応の電気機関車としてEF62形1000番台が新造投入される事になった。
本番代は、EF64に第三軌条集電装置及び600V/1500V複電圧対応回路並びに旅客・荷物列車用の蒸気暖房装置(SG)を
追加したものであり、これらの重量増に対する軸重制限から0番台と同様の三軸ボギー台車によるC-C軸配置を採用。
集電靴を台車に取り付け、第三軌条区間ではパンタを畳む。重連運転対応の貫通型運転台。
0番台とは異質過ぎてEF67と新形式を付与すべきであるが、新形式車両の導入を忌避する労働組合対策として、
軸配置と特殊路線専用の共通項で以てEF62となった。
73年の秋に関西本線全線電化、アプト式時代の碓氷峠以来、地上線でサードレール区間が出現し、
当機は当路線を主に貨物牽引から荷物や旅客まで幅広く就役開始。D51に代わって加太峠越えし、合理化に貢献。
80年には草津線でも運用開始。83年にSGを電暖(EG)に交換。
84年から86年まで名古屋圏でEF58の後継機として東海道山陽線も走行するようになった0番台と会う。
87年JR貨物に承継。亀山・奈良間の客車列車や貨物の減少に伴い稼働率は減少し、現在までに車両数はかなり減った。
関~柘植と島ヶ原~加茂が第三軌条なので関西線は個性的な車両が集い趣味的に面白。